2016年09月15日
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2016年09月15日
1962年9月15日付けのビルボード・シングル・チャートにおいて、先週11位からジャンプアップしたフォー・シーズンズの「シェリー」が全米1位に輝いた。チャートに登場してわずか4週目の出来事で、ここから5週間にわたって首位を堅守。ビーチ・ボーイズと並び、60年代のアメリカでもっとも成功したポップ・グループといわれた彼らの快進撃は、まさにこの曲からはじまったのであった。
そんなフォー・シーズンズのサクセス・ストーリーを脚色して、トニー賞に輝く大ヒット・ミュージカルとなったのが『ジャージー・ボーイズ』。2014年にはクリント・イーストウッド監督により映画化され、ご覧になった方も多いだろう。その映画には、「シェリー」誕生にまつわるエピソードも描かれている。
グループでキーボードと曲作りを担当していたボブ・ゴーディオは、わずか15分ほどで「シェリー」を書き上げると、メンバー4人はプロデューサーのボブ・クルーに電話をかけて、受話器越しにその曲を歌いあげた。ヒットを察知したクルーは、すぐにレコーディングを敢行。曲が完成するとヴィージェイ・レコードに売り込みをかけて全米発売され、先の大ヒットになったというわけだ。
この曲の大きな特徴といえば、なんといってもリード・シンガーのフランキー・ヴァリによる個性豊かな歌唱スタイル。コレに尽きるだろう。そのエンターテイナーとしての才能に感心したクルーは、そうしたヴァリの長所を活かすべく、「シェリー」にラテン調のキャッチーなアレンジを施し、それが結果的に初期フォー・シーズンズ・サウンドを形成することになる。
ファルセットを駆使しながらダイナミックに歌い上げるヴァリは、やがてイタリア系アメリカ人のスターとして絶大な人気を誇るようになり、“フランク・シナトラのロックンロール版”とも呼ばれたが、アメリカで『ジャージー・ボーイズ』がロングランを記録した背景に、そうしたイタロ・アメリカン層からの根強い支持があったことを、ひとこと付け加えておきたい。
62年当時、ラジオから流れてきた「シェリー」を聴いたリスナーの多くが、フォー・シーズンズのことを黒人グループだと勘違いしたという。ドゥーワップ系のコーラス・スタイルはもちろんのこと、発売元のヴィージェイ・レコードが黒人層をメイン・ターゲットにしていたレーベルだったことも、そんな勘違いに拍車をかけたようだが、それが結果的に、ポップ・チャートのみならず、R&Bチャートでも見事1位を獲得するクロスオーヴァー・ヒットへと繋がり、フォー・シーズンズの黄金時代が幕を開けることになる。
その後の彼らは、「ビッグ・ガールズ・ドント・クライ(恋はヤセがまん)」(62年)、「ウォーク・ライク・ア・マン(恋のハリキリ・ボーイ)」(63年)と、3曲連続でのナンバーワン・ヒットを達成し、全米にビートルズ旋風が吹き荒れた64年以降も、その勢いは衰えることがなかった。当時のアメリカ音楽界において、ブリティッシュ・インヴェイジョンに呑み込まれずに生き残ったのは、ビーチ・ボーイズとモータウン勢、そして、フォー・シーズンズだけだったと言われている。
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