2017年06月20日
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2017年06月20日
6月20日、ブライアン・ウィルソンは75歳の誕生日を迎える。
現在はペット・サウンズツアーの最中でアル・ジャーディン、ブロンディ・チャップリンらと共に各地を回っている。
老齢で尚、精力的なライブ活動を行っているミュージシャンは世界中に数多くいるが、過去に大きなリタイヤを経験したブライアンには「復活劇」という言葉がふさわしい。
それは1999年の『Imagination Tour』から始まった。
"The Little Girl I Once Knew"の華々しいイントロから始まるこのツアーはワンダーミンツ、ジェフリー・フォスケットら「ビーチ・ボーイズの音楽をこよなく愛し、理解が深く、センスの抜群に良い「バックバンド」に支えられ展開された。
ブライアン・ウィルソンとその音楽への愛に溢れた演奏とバンド全体が醸し出す空気が新しく、それまでのビーチ・ボーイズのバックバンド、メンバーとは一線を画す素朴なクールさがあった。
あたかも「ブライアン・ウィルソン・バンド」という新しいバンドがデビューしたかのようだった。
そんな彼らの洗礼を受けたのが何を隠そう19歳の頃の私で、1999年の大阪フェスティバルホールでの鑑賞を境にブライアン・ウィルソン・バンドを追いかける20代を過ごすことになった。
ブライアン・ウィルソン・バンドを得たブライアンの勢いは止まらなかった。2000年からの10年間は特に凄かった。
『ペット・サウンズ』全曲演奏に留まらず、『スマイル』に於いては新たにそれを再構築し、スタジオ録音盤の発売、ライブでの全曲演奏、ロックインスト部門でのグラミー受賞など、ファンとしては信じられないような動きを見せたのも彼らの働きなしにはあり得なかったことだろう。他のオリジナルアルバムの発表や活発なツアーの数々も然りである。
私は1990年代、現役で活躍しているミュージシャンやバンドを好きになることがなく、一人寂しく部屋でリイシュー盤を聴く10代を過ごしていたのだが、コンスタントに驚きの活躍を見せてくれるブライアンとブライアン・ウィルソン・バンドには大いに楽しませてもらった。
好きなミュージシャン、バンドと同じ時代を生きられるファンの高揚感を20代の時期に味わうことができたのをとても感謝している。
私はザ・ペンフレンドクラブというバンドを率いて活動しているが、結成当初からブライアン・ウィルソン・バンドのような雰囲気にしたいという思いがあった。
サックス奏者が加入して少しだけ近づけたかな...と一人で思っているのだが、女性メンバーが多いのでとりあえず「テイラー・ミルズ感」は出せているような気はする。
それはさておきブライアンである。2012年にはファンが一番見たかった形、マイク・ラブ率いるビーチ・ボーイズとブライアン・ウィルソン・バンドからの選抜メンバーをバックにザ・ビーチ・ボーイズとしてのデビュー50周年再結成ライブ、そしてスタジオ録音盤まで発売された。
マイクとはまたすぐに袂を分かつことになるが、あの2012年の奇跡的な瞬間を思い出すだけで一生おかず無しで白飯が食える。
現在も幾人かのメンバーの交代はあれどブライアンはブライアン・ウィルソン・バンドと共に活動を続けている。彼らがいれば安心だ。
≪著者略歴≫
平川雄一(ひらかわ・ゆういち): ミュージシャン。バンド『ザ・ペンフレンドクラブ』リーダー。漫画家、イラストレーター、音楽文筆家。音楽レーベル『ペンパルレコード』代表。ザ・ペンフレンドクラブ録音盤、ビーチ・ボーイズ『AN AMERICAN BAND』DVD装丁やライナーノーツなど作品多数。
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