2017年07月12日
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2017年07月12日
これぞ“究極の一発屋”といえるだろう。
ともにネブラスカ出身のデニー・ゼーガーとリック・エバンスが結成したフォーク・デュオのゼーガーとエバンスは、エバンスが5年ほど前に書いたもののタンスの奥で埃まみれになっていたオリジナル曲「西暦2525年(In The Year 2525 [Exordium And Terminus])」をレコーディングして、68年に地元のトゥルースというマイナー・レーベルから発表する。するとテキサスのラジオ局で話題となり、大手のRCAレコードが興味を示して翌69年に全米発売したところ、チャートをグングン上昇し、7月12日、ついに全米チャートを制覇。その後、6週間もトップの座を明け渡すことなく、69年を代表するビッグ・ヒットとなり、イギリスや日本でも大ヒットを記録したが、これ以降、ゼーガーとエバンスは1曲もヒットを放つことができなかった。冒頭で“究極の一発屋”と言った理由がお分かりいただけただろうか。
さて、この「西暦2525年」が大きな注目を集めた理由のひとつに、その歌詞の面白さがある。どんな内容かというと、
西暦2525年に、もしも、男や女がまだ生きているならわかるだろう。
西暦3535年、真実を話したり、嘘をつく必要はない。なぜならば、為すことすべてが今日のむ錠剤に入ってるのだから。
西暦4545年、歯や目は必要ない。なぜならば、噛むものなどないし、誰も君のことを見やしないのだから。
西暦5555年、腕は身体の横に垂れさがり、足は何もすることがない。機械が代わりにやってくれるから…。
この先も、6565年、7510年、8510年、9595年と続いてゆくこの曲は、ひとことで言うならば、手塚治虫の傑作漫画『火の鳥』的な、人類の壮大な進化の過程を綴った内容となっている。そしてそこには、現代社会に対する痛烈な批評精神があふれていたのだ。60年代のアメリカでは、ボブ・ディランなどが社会批判を歌にした“プロテスト・ソング”が流行したが、この「西暦2525年」では、その視線を現代から未来へと置き換えている点が斬新であり、さしずめ“未来型フォーク・ソング”とでも言えようか。
この曲が全米1位に居た69年7月20日、ニール・アームストロング船長らを乗せたアポロ11号が人類史上初めて月面に降り立つ偉業を達成。人々の関心が急速に宇宙や近未来へと向かい、“宇宙時代の到来”と騒がれた。そんな時代背景が、この「西暦2525年」の世界的ヒットを強力に後押ししたのかもしれない。
そんな「西暦2525年」は、その未来を予言した特異性からか、世代を超えてカルト的な人気を誇り、多くのアーティストによってカヴァーされている。なかでも90年代以降にその信奉者は多く、R.E.M.の『In The Year 2525:The Cover Versions』(91年)、ヴィサージの『The Damned Don't Cry』(2001年)、元ストーン・ローゼズのイアン・ブラウンのソロ・アルバム『My Way』(2009年)などで、「西暦2525年」の興味深いカヴァー・ヴァージョンを楽しむことができるので、機会があればぜひ聴いてみてほしい。
いまから50年も前に書かれながら、我々も知らないほどはるか遠い未来を歌った「西暦2525年」。もしかしたら、この曲が懐メロになることは一生無いのかもしれない。そして、便利なことが当たり前の現代日本に暮らす我々は、この曲のメッセージをどう捉えればいいのだろう? そんなことを考えながら、3分15秒、耳を傾けてみようではないか。
≪著者略歴≫
木村ユタカ(きむら・ゆたか):音楽ライター。レコード店のバイヤーを経てフリーに。オールディーズ・ポップスを中心に、音楽誌やCDのライナーに寄稿。著書に『ジャパニーズ・シティ・ポップ』『ナイアガラに愛をこめて』『俺たちの1000枚』など。ブログ「木村ユタカのOldies日和」もマイペース更新中。