2016年09月20日
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2016年09月20日
ジム・クロウチの「タイム・イン・ア・ボトル」は、恋人とすごす大切な時間を壜の中にためて永遠のものにしたいというロマンティックな歌だ。1973年の暮れも迫る12月29日、全米一位に輝いた。その年最後の、そして翌1974年の最初の全米ナンバーワン・ソングになった。ただし、このときは既に、ジム・クロウチは他界し、朗報を直接手にすることはできなかった。
そもそも、この曲は、ジム・クロウチのデビュー・アルバム『ジムに手を出すな』の中に収録されていて、それが、ひょんなことからシングル・カットされ、世に出ていくことになるのである。
1973年9月12日、米国ABCテレビで、一組の若いカップルを主人公にした青春ドラマ『シー・リヴズ!』が放映される。幸せな日々を送る二人だったが、突然女性が病魔に襲われる。そのドラマの中で、この歌は印象深く使われた。番組が放映されて以来、どうすればこの曲が手に入るのかと、テレビ局に問い合わせが殺到したという。
しかし、現実の物語はこれからだった。そのTV放映から8日後の9月20日のことだ。彼は、ルイジアナ州ナッキトッシュの大学でコンサートを行い、次のコンサートが予定されているテキサス州シャーマンに向けて飛び立つ。そして、彼を乗せたプライベートのセスナ機は離陸に失敗し、同乗していたギタリスト、モーリー・ミューライゼンらと一緒に他界。30才という若さだった。
ほったらかしたままのモジャモジャの髪に、太い口髭。デニムのシャツにパンツ。スター然としたところの一切ない人だった。汗をかいて一日中働き、その疲れをやわらげるために酒場に足を運ぶ。そこで、仲間たちと、あるいは見知らぬ人と他愛のない会話を弾ませながら、ビールで喉を潤す。あるいは、旅先のモーテルから、誰でもいい電話の向こうの相手に淋しさを紛らわせる。
そうやって、何処にでもいるような人が、彼の歌の主人公には多かった。彼もまた、建築現場で働き、道路工事に溶接工に長距離トラック運転手と、いろんな仕事をやりながら歌い続け、ようやく日の目を見たところでの不慮の事故だった。
最初のヒット曲「ジムに手を出すな」から1年、「リロイ・ブラウンは悪い奴」が初の全米ナンバーワンに輝いてから僅か2か月しか経っていなかった。急に忙しくなったために、しばらく休養し、妻と息子と一緒に過ごす時間をもっととろうと考えていた矢先の悲劇だったという。
そう言えば、「タイム・イン・ア・ボトル」は、妻のイングリッドに妊娠を伝えられた夜に歌詞を書いたらしい。彼が死去したとき、そのときの遺児はまだ2才にも満たなかったはずだ。その息子、エイドリアン・ジェイムス・クロウチ、つまりA.J.クロウチも、いまはすっかり歌手として成長、魂のこもった素晴らしい歌を披露する。
フリスクのCMで流れる軽快な「ハング・アップ(オン・ユー)」で、日本でも親しまれるようになり、今年の2月にも来日公演を行ったばかりだった。ぼくがみたときは、父親の「ボックス・ナンバー・テン」を歌った。音楽で身をたてる夢と共に故郷をあとにするも、生活に困って両親にお金を送ってくれないかと頼る歌だ。ジム・クロウチが、道で出会ったホームレスの男に一杯驕ってくれないかとせびられ、コーヒーを御馳走するかわりにその男の人生を語ってもらい、この歌を書いたと言われている。一般的には余り馴染みはないが、父らしいこういう歌を選んで歌う息子も、いいなあ、と思う。