2016年09月19日
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2016年09月19日
「新鮮で純粋だった。何と言っても存在感があった」
『レット・イット・ビー』以来46年ぶりとなるアップル公認のライヴ・ドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years』(9月22日から全国公開)には、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインのそんな発言が出てくる。1961年11月9日、リヴァプールのキャヴァーン・クラブで演奏する4人を初めて見た時のコメントだ。決して大袈裟ではなく、その瞬間、彼は人生のすべてをボーイズ(エプスタインは彼らをそう呼んだ)に捧げたと言ってもいいだろう。
ブライアン・エプスタインは1934年9月19日、家具店を営む裕福な家庭に生まれた。父親のハリー・エプスタインが大きな家具店(North End Music Store)を経営していたため、経済的には何の不自由もなく育ったものの、勉強嫌いで学校を7回も変わるという落第生だったらしい。その後デザイナーになろうとしたが、父親の反対で家業を継ぐも長続きせず、元来の芝居好きが高じて俳優になろうと決心しロンドンへと向かう。22歳の時のことだ。だが、“他人に興味がなく敗北を異常に恐れる”俳優たちを目の当たりにして失望し、再びリヴァプールに舞い戻り、58年からNEMSの経営者として家具店のレコード売り場を切り盛りすることになった。
売れたレコードと在庫の確認を日々怠らず、客の注文がきたら即座に対応できる態勢をとる。“NEMSに行けばどんなレコードでも手に入る”――彼のそんなプロ意識をぐらつかせたのはビートルズだった。61年10月にレイモンド・ジョーンズという10代の若者が「マイ・ボニー」のシングルを探しに店に来たが、エプスタインはそのシングルのことを知らなかったという(エプスタインは、ビル・ハリーが創刊したリヴァプールの音楽情報誌『マージー・ビート』のレコード評を担当するなど、地元の音楽シーンに強い関心を持っていたので、それ以前に“ビートルズ”の名前を目にしていた可能性もある)。エプスタインがビートルズに興味を持つ最初のきっかけはそうして生まれた。そして、キャヴァーン・クラブでのステージを見てビートルズに惚れこんだ彼は、61年12月21日に、キャヴァーン・クラブのDJボブ・ウーラーの仲介でマネージャーとして契約を結ぶ(正式契約62年1月24日)。
多くの人が望むものを、時期を逃さずに提供すること――NEMSのレコード売り場での経験は、そのままビートルズの売り出しにも生かされた。清潔なイメージ戦略もそうだし、64年のフランス市場拡大や66年の日本を含むアジア戦略もそうだ。ライヴを軸にビートルズの魅力を世界的に広げていったエプスタインの頂点は、前述の映画と同時上映されるシェイ・スタジアム公演(65年8月15日)だろう。その映像には、5万5600人の観客を見渡しながら、ステージ横でビートルズの演奏を恍惚とした表情で見守るエプスタインの姿が映し出されている。デビュー後3年足らずでビートルズを世界一のライヴ・バンドに育てたエプスタインに対し、ポールはビートルズにMBE勲章が授与されることが決まった時に「MBEは“Mr.Brian Epstein”の略だ」と感謝の意を表した。
しかし、ビートルズのライヴ活動の終焉(66年8月)は、「4人がよく見えるように」と常に気にかけてきたエプスタインとボーイズとの別離を表わしてもいた。ビートルズがマハリシ・マへシ・ヨギの講義を受けるためにウェールズに滞在中だった67年8月27日、エプスタインはドラッグの服用過多により32歳の若さでこの世を去ってしまう。生き甲斐だったビートルズが“ファンのいない場所”へとどんどん遠ざかっていくことに耐え切れなかったのだろう。もしエプスタインが生きていたら、69年1月30日のアップル・ビル屋上での“再結成ライヴ”をどんな思いで見つめたのだろうか。
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