2017年02月28日
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2017年02月28日
本日2月28日は、我が国の新劇運動のパイオニアとして知られる劇作家で演出家の島村抱月の誕生日。今から146年前、明治4年(1871年)のことである。
島根県浜田市の貧しい家に生まれた彼は苦学して浜田町裁判所書記となり、同裁判所の検事・島村文耕と養子縁組をして上京。明治27年(1894年)に東京専門学校(現・早稲田大学)を卒業後、記者生活に入り、やがて読売新聞社会部主任となる。明治35年(1902年)から3年間、オックスフォード大学とベルリン大学に留学後、早稲田大学文学部教授に就任し、明治39年(1906年)には坪内逍遥と共に文芸協会を設立。その3年後には協会附属の演劇研究所において本格的に新劇運動を始めるが、研究所の看板女優で人妻の松井須磨子と恋仲になり、これがスキャンダルとなったことで文芸協会を辞め、研究所を退所処分となった須磨子と共に、大正2年(1913年)に劇団「芸術座」を結成する。
以上が島村抱月が自らの新劇活動の場となる劇団を結成するまでの経緯だが、演劇人である彼が何故『大人のミュージックカレンダー』に取り上げられているのか疑問に思われている読者も多いと思うので、これから本題に入ろう。明治41年(1910年)、我が国初の国産円盤レコード(SP盤)が生産されたが、当初は娘義太夫や浪花節などが主な品目で、現在のポピュラー音楽のように広く大衆に流行させることを目的とした歌唱作品(のちに流行歌・歌謡曲と呼ばれる)はまだ制作されていなかった。レコードが音楽を広く大衆に伝播するメディアとしての機能を確立するには、大正3年(1914年)、抱月がトルストイの原作を脚色し劇団「芸術座」が帝劇で上演した『復活』を待たなければならなかったのである。
抱月は『復活』の中で、自ら詩人の相馬御風と共に作詞を手がけ、東京音楽学校(現・東京芸大音学部)出身で芸術座のスタッフだった中山晋平に作曲を依頼して劇中歌「カチューシャの唄」を制作。主演の松井須磨子に歌わせた。これが評判となったのでレコード化を思い付き、いざ発売してみるとレコード史上初の2万枚を超える大ヒットを記録。日本人によって作られたオリジナル歌曲がレコード化され、広く大衆の間に流行していった初めての出来事という意味において、「カチューシャの唄」こそまさに歌謡曲・流行歌の歴史的第一号作品であり、松井須磨子は我が国初の“歌う女優”となったのである。
映画「女優須磨子の恋 」より
「カチューシャの唄」のヒットによって『復活』の公演も大成功を収めた抱月は、“二匹目のドジョウ”を狙って、翌年に『その前夜』(ツルゲーネフ原作)を上演した際にも、歌人の吉井勇の作詞、中山晋平の作曲による劇中歌「ゴンドラの唄」を主演の松井須磨子に歌わせ、前回同様にレコード化もした。『その前夜』自体の評価は今ひとつだったが、ライオン歯磨きが「ゴンドラの唄」を新聞広告のキャッチコピーに用いるという、現在のCMタイアップの元祖みたいなプロモーション手法も功を奏してレコードは大ヒット。その後も多くの歌手たちによって歌い継がれ、現在でもスタンダードとして親しまれている。黒澤明監督の映画『生きる』(1952年)でも劇中歌として使われ、志村喬演じる主人公が公園のブランコを漕ぎながら口ずさむ印象的なシーンを覚えている方も多いだろう。
見事“二匹目のドジョウ”も吊り上げ、気を良くした抱月はさらに三匹目も狙う。大正7年(1918年)に芸術座が上演した『生ける屍』(トルストイ原作)では、詩人・童謡作家として当時売れっ子だった北原白秋に作詞を依頼。中山晋平が作曲した劇中歌「さすらいの唄」をこれまでと同様に松井須磨子に歌わせて、その後レコード化すると、これまたヒットを記録した。まさに“柳の下にドジョウ三匹”。現代でも有効なヒット商品の法則は、すでに歌謡曲の草創期に誕生していたのである。
才能溢れる女優や作家たちを見い出し、舞台演劇と音楽媒体の融合という現在のメディア・ミックスの手法をいち早く実践してヒット曲を連発した島村抱月。歌謡曲草創期を築いた天才プロデューサーであり、我が国最初のヒット曲メイカーであった彼だが、「さすらいの唄」のヒット直後、大正7年(1918年)11月5日にスペイン風邪で急死。生涯不倫関係にあった松井須磨子も、翌年の1月5日に後追い自殺という悲劇的な最期を迎えている。
松井須磨子と共に、島村抱月が見い出した偉大な才能のひとり中山晋平は、そんな二人と組んで“三匹のドジョウ”誕生に大きな貢献をしたことで大衆音楽作曲家として名を上げたその後も「船頭小唄」(大正10年)、「波浮の港」(大正13年)、「東京行進曲」(昭和4年)等、次々にヒットを放ち、偉大なヒットメイカーとして日本ポピュラー音楽史にその名を刻みこんでいる。ちなみに現在でも一般的認知度の高い中山晋平作品としては、ヤクルト・スワローズの試合には欠かせない「東京音頭」と、「シャボン玉」「てるてる坊主」「証城寺の狸囃子」「背くらべ」等の童謡が挙げられるだろう。
≪著者略歴≫
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。