2017年12月10日
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2017年12月10日
話は37年程前の1980年にさかのぼる。この年に私は1冊の単行本「永井龍雲・負け犬が勝つとき」を出版した。
龍雲は78年3月にシングル「想い」、5月にアルバム「龍雲ファースト」でデビュー以来、そのときまでにシングル6 枚、アルバム3枚を出しており、フォーク界においては松山千春に続くホープと早くから注目されていた。しっとりとした叙情的なメロディー、哀愁をおびたボーカルが実に魅力的で、地元・福岡での人気は高く、コンサートの観客動員力は常に2千人以上を誇っていた。とはいっても、一般的にはまだ知名度の低いシンガー・ソングライターだった。
そんな龍雲に私は評論家として「次代を担うスーパースターになる」と宣言したのである。これは大きな賭けだった。もしも龍雲が売れなかったら、私は評論家としての信頼を失うことになるからだ。だが、それでも賭けてみようと思ったのだ。
当時、龍雲に対する周囲の期待感は日増しに高まっていた。ちょうどそんなタイミングをとらえたかのようにCMソングの話が舞い込んできた。そして龍雲が「自分の人生を賭けて作った」のが「道標ない旅」だった。この曲は79年8月21日にシングルとして発売された。この歌には、青春時代を前向きに走る彼の心情が素直に吐露されていた。
龍雲に向かって“時代の風”が吹き始めた。「道標ない旅」は順調にヒットチャートを駆け上がって、11月中旬には20位に“赤丸急上昇”でランクされた。<ベストテン>突入はその勢いから時間の問題かと思われた。
ところが、思わぬアクシデントが勃発する。CFに出演していた山口百恵が、三浦友和と“恋人宣言”をしたのだ。
百恵、友和という当時随一の人気カップルによる突然の恋人宣言だけに、マスコミはこぞって特集を組み、大衆の関心も一斉に二人に集まった。CFも突然、百恵、友和が二人で出演している古いフィルムに差し替えられてしまった。話題性を狙って替えたのだ。
当然のこととして、「道標ない旅」はオンエアされなくなった。「これから…」というときだったので、このアクシデントは痛かった。結局、「道標ない旅」はスマッシュヒットで終わってしまったのである。と同時に、私の賭けも失敗したのだ。
早いものであれから37年間という年月が流れてしまった。龍雲は現在、還暦を迎えたキャリア40年のアーティストとして独自の存在感を持っている。そんな龍雲と私は今、再びタッグを組んでいる。<演歌・歌謡曲>でもない。<Jポップ>でもない“良質な大人の音楽”を<Age Free Music>と名づけて私は同名のレーベルを立ち上げた。龍雲はその第1弾アーティストである。
顧みて自分の人生を改めて振り返ったとき、これからやらなければならないことが鮮明に見えてくる。今、龍雲と私には「永井龍雲・負け犬が勝つとき」その後の地平が見えてきた。龍雲のニュー・アルバム「オイビト」はまさに<「永井龍雲・負け犬が勝つとき」その後>である。あなたの<その後>もこれを機に顧みて欲しいものです。
≪著者略歴≫
富澤 一誠(とみさわ・いっせい):長野県須坂市生まれ。東大中退。音楽評論家。尚美ミュージックカレッジ専門学校客員教授。著者に「フォーク名曲事典300 曲」「J-POP 名曲事典300 曲」「Age Free Music 大人の音楽」(すべてヤマハミュージックメディア)「あの素晴しい曲をもう一度」( 新潮新書) 等多数。ラジオ・パーソナリティー、テレビ・コメンテーター、日本レコード大賞常任実行委員としても活躍中。