2016年11月02日

11月2日 本日はキース・エマーソンの誕生日

執筆者:東ひさゆき

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今回は誕生日に合わせてキース・エマーソンを取り上げるけれども、今年(2016年)に限ってはまず、先の3月10日の訃報から話を始めたい。実は、今年は年頭から1月10日のデヴィッド・ボウイ、1月18日のグレン・フライ(イーグルス)、1月28日のポール・カントナー(ジェファソン・エアプレイン)など、洋楽界にとって重要な人たちが相次いで亡くなっていたが、その中で彼の場合は病気や事故が原因でなく、自ら黄泉の世界に旅立ってしまったので、切ないし、痛ましい。享年71歳。離婚を経験したり、火事に見舞われたりと人生の後半は必ずしも順調ではなかった。雑誌等の報道によれば、精神的に様々なものを抱えて病んでいたとも聞くが、彼は音楽的に様々なものを取り入れて弾いていた、有能なキーボード・プレイヤーだった。


キースは1944年11月2日、英・ランカシャーのトッドモーデン生まれ。10歳の頃、スキッフルに夢中になり、最初に手にした楽器はギターだったが、すぐに飽きてピアノに乗り換える。また、ロンドンのミュージック・アカデミーでクラシックを習うが、これも飽きて、やがてジャズ、ロックに傾倒していく。さらに言えば、最初は銀行の出納係として働いていたが、音楽に対する情熱を抑えきれずにプロに転向。ゲイリー・ファー&ザ・T‐ボーンズのメンバーとして60年代半ばにデビューを飾り、ここでリー・ジャクソン(ベース)と出会う。


キースはスプーキー・トゥースの前身に当たるVIP’sにも在籍していたことがあるが、L・ジャクソンとともにP・P・アーノルドのバック・バンドに参加。これがデヴィッド・オリスト(ギター)、ブライアン・デヴィソン(ドラムス)を含むナイスに発展し、67年にデビューする。キースが注目を集め始めるのがこの頃からだが、ニューヨークとサンフランシスコでキング・クリムゾンの前座を務めた時、グレック・レイク(ベース、ギター)と新しいグループの構想を練りだしていた。


当初、キースとグレッグはなんと、ジミ・ヘンドリックス(ギター)とミッチ・ミッチェル(ドラムス)を加えるつもりだったが、最終的には元アトミック・ルースターのカール・パーマー(ドラムス)を勧誘。エマーソン・レイク&パーマーが誕生する。71年から79年まで『タルカス』(71年/第9位)、『展覧会の絵』(72年/第10位)、『トリロジー』(72年/第5位)など、次々とヒット作、話題作を発表し、プログレッシヴ・ロックの代表格にのし上がる。グループはエマーソン・レイク&パウエルや3(スリー)と形を変えた後、92年に再結成。キースはフーのジョン・エントウィッスル(ベース)やイーグルスのジョー・ウォルシュ(ギター)らと新たなグループ、ベストを組んだりもする。


先に述べたように、彼の音楽はプログレッシヴ・ロックにカテゴライズされていたが、今ふりかえると、プログレ・ファン以外にも人気のあったキーボード・プレイヤーで、躍動感のある人だった。時にはオールド・タイムなロックン・ロール・フィーリングを披露したり、『展覧会の絵』に代表されるクラシックだけでなく、ミュージカル・ナンバーからボブ・ディラン、デュアン・エディ、B・バンブル&ザ・スティンガーズまでをカヴァーしたりした。そうかと思えば、「ジェリー・リー・ルイスやリトル・リチャードには触発されず、フロイド・クレイマーのように弾きたいと思っていた」と発言。フロイド・クレイマーと言えば、カントリー界におけるナッシュヴィル・サウンドの確立、発展に貢献したひとりである。やはり、キース・エマーソンは多面的だった。

タルカス エマーソン,レイク&パーマー

展覧会の絵+1(K2HD HQCD/紙ジャケット仕様) エマーソン、レイク&パーマー

トリロジー  エマーソン,レイク&パーマー

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