2017年09月18日
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2017年09月18日
今日はジミ・ヘンドリックスが亡くなって47回目の命日。生きていれば11月で75歳となる。そして世界を驚かせた映画『ウッドストック』のライヴを行った日から、すでに48年以上が経過したことになる。
黒人がサイケデリックな衣装でハードなロック・ギターをかき鳴らすことは、ほぼ白人が市場を独占していたロック界には衝撃であった。
デビューしたのはイギリス。ロンドン中心にプレイし、エリック・クラプトンやジェフ・ベック等の目の前での演奏もあった。現在も彼等はジミの影響下にあるといっても過言ではない。
米国で育った本物のブルース、R&R、ソウルのミュージシャンのバック・バンドとして活動し、黒人であり、独特な響きを持つ右利き用のギターを左利きで演奏。そしてあのサイケデリックなファッション。それだけでも注目に値するが、そのギター・プレイの凄まじさは今も尚、数え切れないギタリストが影響を受け、憧れの的となっている。
マーシャルをフル・ヴォリュームで鳴らす、ストラトキャスターを自由自在に操りトレモロ・アームを大胆に使う、エフェクターを目一杯深くかける。その後のギタリストにはあたりまえのことになるが、当時彼はどんな考えをもってこのようなプレイをしていたのだろうか。本能的な感性、直感、セッションで生まれた偶然、それを未完成のままライヴで実演。当然、不調な日もあったが、その実験的プレイの多くはその後のロック・ギタリストに多大な衝撃を与えた。
彼の曲を演奏してみると、ギターを弾きながら歌うことがいかに難しいか、やったことのある人ならわかるだろう。そのリズム感、リード・テクニック、ヴォーカルがそれぞれ別人のように演奏する。そのコンピネーションはあたりまえではあるが絶妙である。その彼をサポートしたミュージシャン、ビリー・コックスやミッチ・ミッチェル等も目立たない存在ながら、ヘンドリックスを十分理解した天才的サポート・ミュージシャンであった。たった27歳で亡くなったジミであるが、還暦を越えたミュージシャンやファンもまだまだヘンドリックスの音楽・プレイの深さを、更に実感させる日々が続いている。ジェフ・ベックの最新作『ラウド・ヘイラー』は、明らかにヘンドリックスの多大な影響の上に作り上げたアルバムであろう。
66年のデビューからたった4年の活動で、スタジオ・アルバムを3枚、ライヴを1枚リリースしただけであったが、彼が残した未発表音源は数百枚にも上る枚数のアルバムとなって現在もリリースされている。未発表の中には素晴らしい音源も多いが、耐え難いレヴェルのデモ、ジャム等を収録したアルバムも少なくない。明らかに本人の意思からかけ離れたものも多いのは哀しい限りである。
68~70年に日本では「紫のけむり」がヒット。クリーム解散前後のクラプトン、自身のグループを組んだベック、そしてレッド・ツェッペリンでデビューを飾ったジミー・ペイジ、注目され始めていたリッチー・ブラックモア等、ルックスを兼ね備えたスーパー・ギタリストが次々登場し、ニュー・ロック、アート・ロック等と呼ばれ一世を風靡する直前の頃であった。
しかし、アーティストの来日や映像が少ない時代に上映された『ウッドストック』の衝撃で、ヘンドリックスの注目度は鰻登りであった。たしか銀座のロードショーの後に死のニュースが流れ、もう一度観に行った記憶がある。14~5歳だった当時の私にはルックスの良い白人ギタリストの方が遥かに魅力的であった。
しかしその後、自身のギターが上達し、有能なリズム・セクションとプレイすることも増えるにつれ、ヘンドレックスの魅力にはまっていった。還暦を過ぎた現在、『バンド・オブ・ジプシーズ』は、やばい程マイ・ブームである。
≪著者略歴≫
佐藤晃彦 / JEFF SATO(さとう・あきひこ):1955年10月13日生まれ、78~00年までワーナー・ミュージックとユニバーサル・ビクターで、主に洋楽・邦楽ディレクターとしてジャクソン・ブラウン、モトリー・クルー、ラウドネス、渡辺貞夫、松岡直也、憂歌団、喜多郎、hide/pata (X Japan)、Zeppet Store等を担当、独立後(有)ジェフズ・ミュージックを設立、音楽制作、インディーズ・音楽著作権管理、大学・専門学校講師、おやじバンド・イヴェント企画、音楽ライター、CDレコード・ショップ運営等を行う。
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