2017年01月26日

78年に突如登場したジミ・ヘンドリックス以来の逸材、エドワード・ヴァンヘイレン

執筆者:東ひさゆき

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スコッティ・ムーアにジェームス・バートン、ノーキー・エドワーズ、ハンク・マーヴィン、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミ・ヘンドリックス、ジミー・ペイジなどなど。ロック界における重要かつ影響力の大きいギタリストの多くは60年代末までに登場してきた感がある。それだけに78年に突如、エドワード・ヴァン・ヘイレン(以下、エディと表記)が現れた時はちょっとした“事件”だった。タッピングを駆使した活気に溢れた、奔放かつ独創的なプレイ。ジミ・ヘンドリックス以来の逸材だったと言ってもオーヴァーではないだろう。普通ならば、デヴィッド・リー・ロス(以下、デイヴと表記)という、とてつもなくアクの強いリード・ヴォーカリストがいると、その陰に埋没してしまいがちだが、エディの場合は対等の存在感をアピールしていたものだ。


ドイツ語におけるフォン(Von)に相当する、(貴族の)出身を示すオランダ語のファン(ヴァン)がファミリー・ネームにあるように、エディは1955年1月26日にドイツ国境に近いオランダのヘルダーランド州ネイメーヘンに生まれた。オランダ人の父親はジャズのサックス・プレイヤーで、母親はインドネシア出身という家庭環境で、68年にジャン&ディーンの歌で知られるカリフォルニア州パサディナに家族とともに移住。まともな荷物はピアノだけだったというから、彼が音楽の道に進んだのも不思議ではないかもしれない。


2歳上の兄、アレックスとピアノを習っていたが、兄がドラムスに転向すると、エディはギターを手にした。彼のアイドルはエリック・クラプトンで、レコードの回転数を遅くしてコピーに集中したという。やがてパサディナの大学に進み、音楽理論を学ぶが、兄とマンモスというロック・バンドを結成。そこにレッド・ボール・ジェッツのデイヴと、スネイクのマイケル・アンソニー(ベース)が加入し、デイヴの提案でグループ名をヴァン・ヘイレンと改めた次第だ。


グループは強烈な二枚看板を擁していたこともあり、デビュー時から大きな人気を獲得。2作目『伝説の爆撃機』(79年/第6位)からは大半のアルバムがトップ10入りしているが、10位に届かなかったデビュー作『炎の導火線』(78年/第19位)は『1984』(84年/第2位)とともにアメリカだけで1000万枚以上を売り上げている。デイヴの位置はサミー・ヘイガー、ゲイリー・シェローンに代わるが、エディは常にグループを堅守。06年にマイケルが脱退すると、女優のヴァレリー・バーティネリの間に生まれた息子のウルフギャング・ヴァン・ヘイレンを引っ張り出している。07年以降はデイヴが復帰し、東京ドームのコンサートを収めた『ライヴ・イン・ジャパン』(15年/第20位)も発表。外部プロジェクトとしては「ツイスター」(96年)を始めとするサントラやマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」(83年/第1位)などに参加している。気になることと言えば、やはり健康面で、中でもがんのために舌の3分の1を失っており、食道にも転移しているという。


≪著者略歴≫

東ひさゆき(あずま・ひさゆき):1953年4月14日、神奈川県鎌倉市生まれ。法政大学経済学部卒。音楽雑誌「ミュージック・ライフ」、「ジャム」などの編集記者を経て、81年よりフリーランスのライターに。おもな著書に「グラミー賞」(共同通信)など

伝説の爆撃機<2015 リマスター・エディション> Original recording remasteredヴァン・ヘイレン

炎の導火線 <2015 リマスター・エディション> Original recording remasteredヴァン・ヘイレン

ライヴ・イン・ジャパン CD ヴァン・ヘイレン

ヤング・ギター[インタビューズ]エドワード・ヴァン・ヘイレン2015/9/18エドワード・ヴァン・ヘイレン

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