2017年06月22日
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2017年06月22日
斉藤和義は現在、5月11日から始まった約5年ぶりの弾き語りツアー“雨に歌えば”の真っ最中。6月20、21日の中野サンプラザ2daysを終えた今日は、ツアー最後半へと向けて腕や喉が鳴っていることだろう。
今ツアー3公演目、神奈川県民ホールでライヴを観た。印象的だったことの一つに、ライヴ中盤、ダブルネックギターを抱えて「これ、いいでしょ。今回のツアーでやりたい曲があったから作ったんだ」と客席に斉藤が見せた、自慢げで嬉しそうな様子がある。
その後は、自分でギターとベースをカットして…という制作話がしばらく続いた。日曜大工は斉藤の趣味のひとつで、腕前も確かと知っている。ネットで見つけた“ガラクタ”と化したギターを、足りない部品を買い揃えつつ修理し、再生させたという話も聞いてはいる。しかし“今回のツアーのために”というくらいだから、リハーサル中の限られた期間にその作業をしていたのだろうと想像がついて、何もそこまでしなくても、と呆れつつ、そこまでしてしまうところに斉藤らしさを見る気もした。いうまでもなく斉藤にとってギターは、かけがえのない存在である。
ちなみに斉藤とギターの出会いは小学校高学年の頃。念願のエレキギターを手に入れたのは中学に入ってからで、以来、ギターと音楽なしの未来を、斉藤は描いたことがないし、これまでずっとギターと共に歩んできた。
2011年3月の東日本大震災&福島第一原発事故後の10月に発売された、悲しみと怒りとやりきれなさに溢れたアルバム『45STONES』のラストには、ギターを通して人々の気持ちに少しでもプラスの変化が生まれることを願うような「ギター」という楽曲が収録されている。その後、被災地の子ども達にギターを贈るというチャリティプロジェクトも行った。
今回の弾き語りツアーではピアノも登場するが、当然メインはギターだ。バンドを引き連れてのライヴや中村達也とのユニット・MANNISH BOYSのライヴでは、メンバーとの目配せや互いの発する音で刺激し合いながら、その瞬間だけの音と演奏を生み出していく。
それが実に刺激的で、興奮を煽るのだけれど、弾き語りのライヴでは当然、ステージの上には斉藤ひとり。あとはギターとこれまでに何度も演奏してきた楽曲にその夜だけのとびきりのアレンジを施していく。
本人は“出たとこ勝負”と話すけれど、要するにひらめきを逃さず音にしている、ということ。その中で、ギターはギターの音でありながら同時にベースの音を表現したり、バスドラを表現したりという工夫も瞬時に行われる。ギター1本とは思えない豊かさ、奥行き、それを可能にしている斉藤のセンスと技術はため息ものだ。
自慢できるほどの数の弾き語りのライヴを観たことがあるわけではないけれど、弾き語り、という演奏形態のひとつの極みをこの人は今、押し広げているんだろうな、と感じさせる凄みが毎回ある。おそらくこれからも、押し広げていくのだろうけど。
ギターと音楽をこよなく愛する斉藤和義は6月22日に生まれた。彼は今年で51歳になる。
≪著者略歴≫
木村由理江(きむら・ゆりえ):1959年生まれ 秋田県出身 約1年のレコード会社勤務、約1年半の雑誌編集者を経てフリーライターに。初めて斉藤和義のライブを見たのは、数ヶ月後にデビューを控えた渋谷エッグマン。中でも「無意識と意識の間で」が印象に残っている。