2017年06月21日
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2017年06月21日
本日6月21日は作曲家・都倉俊一の誕生日。70年代の歌謡曲に大変革を起こした都倉は1948年生まれ。歌謡曲シーンでは戦後世代初の職業作曲家でもあった。
父が外交官だった関係で、小学校と高校はドイツで過ごした。バイオリンは4歳からはじめ、さらにピアノを習いクラシック音楽の基礎を学んだ都倉にとって、芸術の情操教育が発達したドイツでの生活は、その後の音楽家としての基盤となるものであった。
都倉が音楽シーンにはじめてその名を刻んだのは学習院大学在学中の1968年9月。折からのカレッジ・フォークの人気にのって、ザ・パニック・メンというグループでヴォーカルを担当、「想い出の小径」という曲で東芝エキスプレス・レーベルからデビューを果たした。ちなみにこの曲のカップリングは谷村新司が在籍していたザ・ロック・キャンディーズの「どこかに幸せが」。つまり都倉と谷村は同期デビューなのであった。
その後は大学2年時に、3人組のジュリアンズというグループに移り、コロムビアのデノン・レーベルから69年5月に「雨あがり」という曲をリリースしている。こちらは都倉自身の作詞・作曲。
学生時代は作曲・編曲のアルバイトを1曲3000円ぐらいで請け負い、一晩で5~6曲アレンジして翌日レコーディングということも頻繁だったそうである。時代はグループサウンズの隆盛も重なり、レコード会社専属作曲家の時代からフリーの作詞家・作曲家に仕事を求めるようになっていた。音楽業界に大転換が起きた時期に頭角を現した、もっとも若い作曲家が都倉俊一であったのだ。
最初のヒットは69年9月発売の中山千夏「あなたの心に」。レコード会社の人に「ちょっと書いてみないか」と言われ書いた同曲が大ヒットとなる。続いて中山千夏に書いた「とまらない汽車」は一転して強力なビートを叩き出すドラムとノリのいいホーンセクションを加えたR&Bで、既にこの時点で美しいメロディーのフォーク・タッチと、ビートを強調したサウンド重視の楽曲という、その後の都倉メロディーの二大特徴が表れているのが面白い。
70年代に入り、都倉俊一は阿久悠と組んで歌謡界を席巻することになるが、その契機となったのは、72年6月5日に発売された山本リンダの「どうにもとまらない」であった。それまでキュートなイメージが強かったリンダを、強烈な個性を持ったいい女に変身させようと考えた都倉は、サンバ・ロックのような曲をぶつけた。阿久悠の書いてきた詞は当初、「恋のカーニバル」というタイトルだったが、インパクトの強さで「どうにもとまらない」に変えてリリース。ヘソ出しルックで激しく歌い踊るスタイルはテレビ視聴者の度肝を抜き、爆発的なヒットとなる。「こまっちゃうナ」の大ヒットのあと低迷していた山本リンダは、この1曲で大変身を遂げ、70年代前半のセクシー歌手大流行の先鞭をつけた。
このビートを重視した曲調は、ロックンロールの洗礼を受けた世代ならではのもので、同時期か、それよりやや早く頭角を現したフリー作曲家たちとも異なる歌謡曲の作り方であった。それはフィンガー5の「個人授業」などを経て、76年デビューのピンク・レディーでさらなる成功をおさめる。山本リンダの一連の楽曲でみせた、8分音符の連打でリズムを畳み込んでいくスタイルは、ピンク・レディー「サウスポー」のほか黒木真由美「好奇心」、高田みづえ「花しぐれ」、渋谷哲平「DEEP」など都倉印の一大特徴となる。
一方で「あなたの心に」を起点とする、スタンダードに成り得るバラードも数多く生み出している。代表的なナンバーは二代目ヴォーカル高橋まり(現・高橋真梨子)が参加したペドロ&カプリシャスの「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」。2曲とも、阿久悠の書いた日本の土壌にはない乾いた心象とシチュエーションがメロディアスな都倉の曲とマッチして、洋画のワンシーンを思い起こさせる高揚感に溢れた名曲で、ロングセラーを記録する。このタイプの楽曲では新人・麻生よう子のデビュー曲「逃避行」や、松崎しげるから「俺なりの『マイ・ウェイ』を作ってほしい」と依頼された「私の歌」、倉田まり子のデビュー曲「グラジュエイション」、山口百恵に初めて大バラードを歌わせた「ささやかな欲望」など、いずれ劣らぬスケールの大きい名バラードがある。また叙情派フォークへの回答となった大信田礼子の「同棲時代」や、シティ・ポップ・センスに溢れた桑江知子「私のハートはストップ・モーション」など時代のトレンドを巧みに取り入れた楽曲も多い。のちにミュージカルに携わるのも納得がいく、フォーリーブスのピースフルなナンバー「地球はひとつ」や徹底してゴージャスな郷ひろみの「ハリウッド・スキャンダル」も忘れ難い名曲だ。
都倉作品の特徴として、いくつかの異なるタイプのメロディーを強引につなぎ合わせるスタイルがある。パッチワーク感覚とでもいうべきか、その最高峰はやはりピンク・レディーの「ウォンテッド(指名手配)」だろう。押して、押して、押しまくる大袈裟なくらいのインパクトを持たせた楽曲も特徴で、一度盛り上がってさらに大サビで盛り上げる狩人の「あずさ2号」「コスモス街道」、前サビに刺激的な歌詞を載せた山口百恵の「青い果実」など数々の傑作を生んだ。また、歌謡曲にリフの重要性を示した点も都倉の功績で、つい口ずさんでしまう印象的なリフも山本リンダ~ピンク・レディーの一連の作品でご承知の通り。特に「ぼやぼやしてたら」「ウララ、ウララ」「じんじんさせて」など阿久悠の詞に顕著な二音反復はリフ重視の都倉メロディーと抜群の相性をもつ。ほかにも郷ひろみ「バイブレーション(胸から胸へ)」太川陽介「Lui-Lui」フォーリーブス「ブルドッグ」麻丘めぐみ「銀世界」など枚挙にいとまない。これが楽曲に高揚感を与え、アッパーなイケイケムードを生み出すのだ。それは「狙いうち」と「サウスポー」が今でも高校野球の応援ソングとして親しまれていることでも証明されている。
都倉俊一は新人歌手またはイメージ・チェンジの契機となる再デビュー的な歌手を担当することが多かった。その結果、自由な発想で楽曲を作ること、また総合プロデュース的なことまで担当することとなり、その歌手のイメージ作りに大きく貢献することができたと述懐している。歌謡曲が最もパワフルだった時代を象徴する作曲家が都倉俊一であったのだ。
個人的には、阿久悠=都倉俊一の最強作に山本リンダ「奇跡の歌」とピンク・レディー「マンデー・モナリザ・クラブ」を挙げたい。前者は凝りに凝った企画力と、天使と悪魔の一人二役を見事な演技力で歌いこなした山本リンダの実力に、後者は日本語で歌われた完璧なアダルト・ディスコナンバーとして洋楽に比肩する完成度を持っている点で、いずれも歌謡曲の大きな可能性を感じさせるのだ。
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。
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