2016年03月30日
スポンサーリンク
2016年03月30日
1973年にフジテレビ系で放送が開始された子ども向け教育番組『ひらけ!ポンキッキ』。先行していた『ママとあそぼう!ピンポンパン』(フジ:1966~1982年)のスタジオ・バラエティ方式とは異なり、言葉や数字を扱う学習アニメや歌、コントや実写映像なども交えたミニ・コーナーがオムニバス形式に積み重なった、当時としてはかなり斬新な子ども番組だった。
このポンキッキ・シリーズ、ガチャピンやムックの存在ももちろん忘れがたいが、特に音楽に対する造詣の深さや切り口の新鮮さなどが際立ち、数々の名曲・名演・名盤を生み出している点に注目したい。また同時に、並外れた長寿番組でもあることから、「音楽の楽しさを最初に教えてくれたのはポンキッキだった…」と感じている人が多くの世代に渡って存在しているのではないか、と筆者は常々思っている。
ごく初期には、ジャズ・クラリネット奏者の藤家虹二が音楽監督を務め、NHKの「おかあさんといっしょ」「みんなのうた」よろしく、質の高い新童謡・新唱歌を提供するのが歌のコーナーの基本だった。この時期には一般向けのレコード発売はなく、「ポンキッキ・レコード」というフジテレビ総合研究所による独自レーベルでの非売品頒布しか行われなかったため、この時期の楽曲が埋もれがちなのが残念なところ。だが、1975年発売の「たべちゃうぞ」(作曲:吉田拓郎)を皮切りにキャニオン(現:ポニーキャニオン)、キングから相次いでシングル、アルバムが発売されるようになり、ポンキッキ・ソングの輪が一気に拡大していくこととなる。
その起爆剤となったのは、言うまでもなく1975年12月にシングルが発売された「およげ!たいやきくん」である。日本音楽界最高のシングル売り上げ453万枚超という前人未踏の大ヒットを記録したこの曲。当初、番組内で流れていたのはフォークシンガー:生田敬太郎が歌ったものだった。しかし、生田は当時テイチク所属であったため、キャニオンから発売が予定されていた「たいやきくん」のレコーディングが叶わず、フリーランスの歌手:子門真人にヴォーカルが変更になったという経緯がある。ちなみにB面曲「いっぽんでもニンジン」を歌っているなぎらけんいち(現:なぎら健壱)は、生田と共にエレックレコード時代を過ごし、生田のアルバムにも参加している仲。この縁が生田・なぎらの同時起用につながったのではないかと思われる。
「たべちゃうぞ」の吉田拓郎や、生田、なぎらを始め、NHK『ステージ101』時代に芹澤廣明とのデュオ「ワカとヒロ」を組んでいた若子内悦郎や、「若いってすばらしい」で知られる槇みちる(ぶんけまりこ名義)、ジャズロック時代の名ドラマー石川晶、当時のCMソングの女王:のこいのこなどがこの時期から続々とポンキッキソングに参加。中でも、作詞:奈良橋陽子、作曲:タケカワユキヒデ、歌:かはしかつみ(加橋かつみ)による番組オープニングテーマ(俗称「青い空白い雲」)は、正式にレコード/CD化されたことのない幻の名曲として、今もなお、懐かしむ人が多い。ポンキッキソングは「お行儀の良い新童謡」という路線を外れ、ポピュラー・ミュージックのエッジをなぞるような、「攻め」の姿勢へと転じていくのである。
1992年に同じくフジテレビ系で始まった子ども番組『ウゴウゴルーガ』のセンスに引っ張られる形で、新シリーズ『ポンキッキーズ』(1993年10月~)にリニューアルした後も、この方向性は衰えることはなく、電気グルーヴのピエール瀧、スチャダラパーのBOSE、鈴木蘭々、安室奈美恵らがMCを務め、斉藤和義の「歩いて帰ろう」や、森高千里の「ロックン・オムレツ」、爆チュー問題(爆笑問題)の「でたらめな歌」など、番組発のヒットが生まれている。
その後も、『ポンキッキーズ21』→『ポンキッキーズ(第2期)』→『ポンキッキ』と名称を微妙に変更しながらシリーズは継続していたものの、2007年3月もって『ポンキッキ』のフジテレビでの放送は終了。BSフジに舞台を移した新シリーズに移行し、現在でも『beポンキッキーズ』が放送中だ。今日、3月30日は、34年間にわたる地上波でのポンキッキ・シリーズが幕を閉じた日なのである。
ところで、上記のような主題歌や「歌のコーナー」における正規のポンキッキソングに加え、どうしても忘れられないのが、学習アニメのBGMやCMジングルなどで使われていた既存のポップスの数々だ。ポンキッキの番組中には、無数のオールディーズやビートルズ・ナンバー、ロックやソウルの名曲たちがカットアップされ、いつも大量に散りばめられていたのをご記憶だろうか。先ほど述べた「音楽の楽しさを最初に教えてくれたのはポンキッキだった…」という感慨は、実は正規のポンキッキソングよりも、むしろこれらの「ポップスの断片」たちにドップリ浸かる体験こそが、その原因だったのではとさえ思えてくる。かく言う筆者も、実はビートルズの初体験は、ポンキッキで流れていた「Please Please Me」のサビ部分である。
2000年代以降の新時代ポンキッキでも、番組中にはしっかりと「All You Need Is Love」が流れている。童謡から離陸し、ポップスの進化と共に歩み、新しい音楽を毛嫌いせず、古いホンモノも愛し続ける…… ポンキッキに脈々と流れ続ける音楽魂には、「音楽愛好家のあるべき姿」のようなものが透けて見えるような気がする。
あれはフジテレビのお昼にやっていた『笑ってる場合ですよ!』がまだ人気を博していたときでした。フジテレビのプロデューサーの横澤彪さんから直々に次のお昼のバラエティー番組を始めるので、そのテーマ曲を...
1981年、千代の富士が横綱になり、なめ猫がブームになったこの年に『オレたちひょうきん族』は始まった。EPOの「DOWN TOWN」をはじめとする洒落たエンディングから番組内で生まれた出演者たち...
佐藤公彦は、フォーク・グループのピピ&コットの一員としてデビュー。72年にグループを脱退、ソロとなり5月に「通りゃんせ」でシングル・デビューを果たす。長髪に繊細な顔立ちと、その中性的な容姿からケ...
1997年のレコード大賞受賞曲は安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」であった。フジテレビ「月9」枠で97年の第1作となったドラマ『バージンロード』のテーマ曲に使われたことで、発売...
6月22日は斉藤和義の誕生日。今年で51歳になる。斉藤和義は現在、5月11日から始まった約5年ぶりの弾き語りツアー“雨に歌えば”の真っ最中。6月20、21日の中野サンプラザ2daysを終えた今日...
1944年(昭和19年)の本日1月4日は、もう絶対破られないであろうと思われる日本のシングルレコード(CD含む)史上最も売れた一枚、「およげ! たいやきくん」の歌唱者、子門真人の誕生日である。 ...
“ビートルズっぽい架空のロック・バンドを主人公にした連続TVコメディ番組”そんな発想のもとに誕生したグループがモンキーズだった。12月30日は、そのモンキーズのヴォーカルであり、一番人気であった...
1970年10月21日、パートリッジ・ファミリーのデビュー曲、「悲しき初恋」がリリースされた。パートリッジ・ファミリーはモンキーズやアニメのアーチーズなどと同じく、アメリカのテレビ番組のために作...
10月13日はエド・サリヴァンの命日となる。司会者であった「ザ・エド・サリヴァン・ショウ」は、けして音楽番組ではない。それにもかかわらず、彼の名前が海外の音楽ファンにまで知れわたっているのは、極...
今から49年前の今日1967年10月6日は、日本でTVシリーズ『ザ・モンキーズ』の放送がスタートした日。作家陣からスタジオ・ミュージシャンによるバッキング演奏まで、効率良くヒット・レコードを量産...
東京オリンピックから70年代において、バレーボールが日本の「お家芸」として定着していく時期があった。その中で1969年、バレーボールをテーマにしたテレビドラマ『サインはV』(TBS系)の放送が開...
『ルパン三世』のエンディング・テーマ「ルパン三世主題歌II」で、峰不二子が走らせるバイクのシルエットを背景に浮かぶ「歌:チャーリー・コーセイ」の文字……今日、10月14日は、歌手・ギタリストのチ...
1996年9月23日、漫画家:藤子・F・不二雄がこの世を去った。今でこそ、藤子・F・不二雄といえば『ドラえもん』だが、それ以前に空前の大ブームを巻き起こした先輩キャラクター『オバケのQ太郎』を忘...
1968年9月8日、円谷プロダクション制作の特撮テレビ番組『ウルトラセブン』が最終回を迎えた。そのウルトラセブンの中でも忘れがたいのは、なんといっても菱見百合子(現:ひし美ゆり子)が演じたウルト...
赤塚不二夫が紛れも無い天才であったことは、その著作を読めば明らかである。漫画を原作としたアニメやドラマには、ともすれば元の作品の魅力が半減してしまうケースが往々にしてありがちだが、こと赤塚の作品...
今日、7月31日は歌手・女優の岡崎友紀の誕生日。子役時代に既にミュージカルも経験済みという演技力&歌唱力に加え、コミカルな芝居やコント、バラエティ番組での立ち回りもお見事……というマルチ型アイド...
今日、7月10日はウルトラマンが初めてテレビに登場した日として「ウルトラマンの日」に制定されている。しかしTBSの番組『ウルトラマン』の第1話「ウルトラ作戦第一号」が放送されたのは1966年7月...