2017年12月20日

洋楽的な華やかなイメージと卓越したテクニック。鮮烈だったBOWOWのデビュー

執筆者:大野祥之

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「ボクが本当に100歳になったら。それを記念してライヴをやりますから、みなさんまた来てくださいね」


昨年3月20日に川崎クラブチッタで行われた「山本恭司 100YEARS PREMIUM LIVE」のエンディングを、この言葉で締めくくった山本恭司。それは彼自身の還暦祝いと、BOWWOWのデビュー40周年を記念して行われたイベントで、タイトルには「60歳+40周年=100」という意味がこめられていた。


還暦を超えた山本恭司は、現在ではひとりで日本全国各地へ飛んで行う「弾き語り・弾きまくり・ギター三昧」や、高校時代の同級生である佐野史郎の朗読に、山本恭司が即興で音を奏でるという「小泉八雲の世界」といったライヴを精力的に行ないながら、90年代に活動していたトリオのワイルド・フラッグや、各種セッション活動にも邁進している。


10年ほど前から、サンプリングやダブリング、ハーモナイザーなどの最新機材を導入して、たったひとりでもギター・オーケストレーションを聴かせるという、文字通りのソロ・スタイルを確立した彼は、これまでのギタリストという概念を超越したライヴ活動をくり広げてきた。その好奇心とチャレンジ精神は、デビューから40年たったベテランとは、とうてい信じられないほどアグレッシヴなものといえるだろう。


思い返してみれば、海外ではKISS、エアロスミス、クイーンという、70年代洋楽全盛期を作ったロック・バンドが大人気だった時代に、日本でもアイドル的な要素を兼ね備えたロック・バンドの活動が必要だと感じていたプロデューサーが、メンバーを集めて結成されたのがBOWWOWだった。


アイドル・バンドとして活動していたドゥTドールのメンバーだった斉藤光弘と新見俊宏のふたりに、オーディションに受かって参加することになった山本恭司が加わり、彼の推薦でベースの佐野賢二が参加したBOWWOWは、75年に合宿生活に入る。その過程で、音楽的知識の広さと、カリスマ的なギター・センスを持つ山本恭司が、リーダーの位置に付き、歌も歌うことになっていった。


その後、数ヶ月にも及ぶ合宿生活の中で、バンドの方向性や音楽性を確認した彼らは、当時のロック・ファンを驚かせた大胆なデビューを飾ることになった。


なんと彼らは、荷台スペースをステージに改造したトレーラー・トラックに乗って、全国どこへでも行ってライヴをやるという、それまでに聞いたこともない活動方法を打ち出してきたのだ。実際、76年7月25日に大泉の東映撮影所で、このトレーラーをステージにして行われたライヴは、ロック・ファンだけでなく、マスコミの注目も集めるほど、インパクトの強いものだった。


また、アルバムの発売直前には、バンド名のアナウンスもなくオンエアされた代表曲の「Heart's on Fire」が、当時の日本のバンドとしては別格のクィリティだったことも話題になり、12月15日に日本青年館で行われたデビュー・ライヴには、定員の2〜3倍もの観客が詰め掛け、青年館の周囲をぐるりと取り囲む列ができたほどだった。


この年、日本でヒットしたアルバムといえば、さだまさしが在籍していたグレープの『三年坂』や荒井由実の『COBALT HOUR』、井上陽水『氷の世界』小椋佳といったニュー・ミュージック前夜を証明する作品ばかりだった。洋楽では、かろうじてクイーンの『オペラ座の夜』、レッド・ツェッペリン『プレゼンス』、サンタナ『アミーゴ』あたりが、日本のチャートの50位以内に顔を見せているような時代だった。


そんな時代だったからこそ、洋楽的な華やかなイメージを身にまとい、卓越したテクニックを兼ね備えたBOWWOWが、周到なデビュー作戦とプロモーション戦略を後ろ盾にして、鮮烈な存在感をアピールすることができたのだ。それに、なによりも彼らは若かった。18歳だった斉藤光弘以外のメンバーたちは、弱冠20歳になったばかりだった。この若さも、強力な武器となったのは、言うまでもない。


そして、ついに12月20日。満を持してリリースしたデビュー・アルバム『吼えろ! BOWWOW』は、本格的なロック・バンドの誕生を待ち望んでいた日本のロック・ファンの圧倒的な支持を集めてヒットすることになったのだ。


ほぼ同期のデビューだった紫、チャー、そしてBOWWOWの登場によって、日本の音楽シーンにメジャー感のあるロックが、爪痕を残すことができたのだ。


その後、音楽的にポップな路線に走ったこともあったが、斉藤光弘がARBに参加するために離脱し、人見元基と厚見玲衣を迎えて5人編成になった彼らは、VOW WOWと改名してロンドンに移住。今年1月に他界してしまったジョン・ウェットンとの共同作業でシングルを製作したり、日本人として初めてレディング・フェスティバルに出演。また、佐野賢二に変わって、ホワイトスネイクやクイーンのブライアン・メイ・バンドなどで活躍しているニール・マーレイがメンバーとして在籍するなど、世界を見据えた活動で、80年代の日本の音楽シーンに刺激を与え続けてきた。


昨年8月には、渋谷マウントレーニア・ホールで、現在は音楽活動から遠ざかっている佐野賢二と新見俊宏を除いた山本恭司と斉藤光弘のギタリストふたりによる「BOWWOW G2」のライヴが行われて、つめかけたファンと共に、40周年を祝ったものだ。


話は前後するが、2012年に山本恭司をゲストに迎えて、「夢よ叫べ」のセルフ・リメイクを行った故遠藤賢司氏は、こう語っていた。

「天才なんてもんじゃない。あの人と一緒に音を出せたのは、奇跡みたいなものだ」


デビューから41年目を迎えたこの12月20日の近辺、山本恭司は愛知県や故郷の島根県松江市、そして東京でのライヴ活動が続いている。


デビュー当時、トレーラー・トラックで日本全国をツアーするという夢は現実のものとはならなかったけれど、還暦を迎えたいまこそ、山本恭司はそのころに夢見たように、日本全国を旅してまわっている。


永遠のギター少年の旅は、まだまだ終わりそうにもない……。


≪著者略歴≫

大野祥之(おおの・よしゆき):1955年4月1日、東京神田で生まれる。1971年、初来日したレッド・ツェッペリンに、16歳でインタビューを行う。21歳から、本格的な執筆活動に入り、「ミュージックライフ」「音楽専科」「ロッキンf」「ヤングギター」「ドール」などの音楽雑誌に執筆。80年代には、44マグナムを筆頭にジャパニーズ・ヘヴィ・メタルのバンドをプロデュースするなど、活動の幅を広げた。2000年代に入ってからは、母親の介護を8年間経験。現在でも、ライヴ・シーンで若くて元気なバンドたちを発掘している。

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