2017年12月22日
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2017年12月22日
12月22日はロビン&モーリス・ギブの誕生日である。二卵性双生児として1949年に生まれたふたりは、兄バリー・ギブ(1946年9月1日生まれ)と兄弟グループ、ビージーズを結成し、世界的な成功を収めたことはよく知られているが、ロビンは2012年5月20日、モーリスは2003年1月12日に、それぞれ死去。実の兄弟ならではの息のあったハーモニーを二度と聴くことができないのは、とても寂しい。というのも、彼らのハーモニーには、三人にしか出せない、独特の世界観があったからだ。
ビージーズといえば、空前のディスコ・ブームを巻き起こした77年の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の音楽を担当し、サウンドトラック盤からシングル・カットされた「愛はきらめきの中に」「ステイン・アライヴ」「恋のナイト・フィーバー」が3曲連続で全米ナンバーワンを獲得、サウンドトラック盤に至っては24週連続で1位に輝くという金字塔を打ち立てたことが、彼らの長いキャリアにおける最大のトピックだった。
映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が日本公開されたのは78年のことで、筆者は中学一年生。当時はYMOやオフコースなどを熱心に聴いていた純な(?)少年で、不良との付き合いもなく日々部活に打ち込んでいたせいか、ディスコなどという派手な遊び場はまったくの異世界であった。そんなとき、テレビやラジオから聴こえてきたのが、ビージーズが歌うディスコ・ナンバー。当時は“ディスコでフィーバー”が世間の流行語で、日本のお茶の間にも空前のディスコ・ブームが浸透していたことを懐かしく思い出す。
やがて高校に入学し、洋楽に一気に目覚めた僕は、ビージーズのアルバムも片っ端から聴き漁ったもの。そんなときに出会ったなかで、当時も今も大好きなアルバムが、『サタデー・ナイト・フィーバー』サントラの2作前の作品にあたる『メイン・コース』(75年)だ。全米ナンバーワン・ヒット「ジャイヴ・トーキン」を含むこのアルバムは、彼らがディスコ路線に踏み込んだ最初の作品で、アレサ・フランクリンなどを手がけたことで知られる名匠アリフ・マーディンがプロデュースを担当。ソウルとポップのブレンドが絶妙なブルー・アイド・ソウル風味の名盤である。
ビージーズといえば、デビューした60年代は、ハーモニーを重視したソフト・ロック路線だった。この頃の代表作「メロディ・フェア」「若葉のころ」は、映画『小さな恋のメロディ』(71年)に使用されていたので、ご記憶の方も多いだろう。そんな初期ビージーズ作品は、あの大滝詠一さんにも影響を与えている。好きなアルバムのひとつとして『ビー・ジーズ・ファースト』(67年)を挙げているばかりか、はっぴいえんど時代の「朝」や、ソロ曲「空飛ぶくじら」には、初期ビージーズからの影響を見て取ることができる。興味のある方は、『ビー・ジーズ・ファースト』収録曲の「ターン・オブ・ザ・センチュリー」あたりを聴いてみてほしい。
そんなビージーズは、今年(2017年)、世界デビューから50周年を迎えた。それを記念して、バリー・ギブ自らが選曲した最新ベスト盤『タイムレス:オール・タイム・グレイテスト・ヒッツ』もリリース。その偉大な足跡を、この機会に改めて振りかえってみるのもいいだろう。
≪著者略歴≫
木村ユタカ(きむら・ゆたか):音楽ライター。レコード店のバイヤーを経てフリーに。オールディーズ・ポップスを中心に、音楽誌やCDのライナーに寄稿。著書に『ジャパニーズ・シティ・ポップ』『ナイアガラに愛をこめて』『俺たちの1000枚』など。ブログ「木村ユタカのOldies日和」もマイペース更新中。
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