2018年01月31日
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2018年01月31日
1月31日は川勝正幸の命日である。
川勝さんとは古い。
最初がいつだったか、ラジカル・ガジベリビンバ・システムというユニットで僕が舞台をやっていた頃、座り客で満員のラフォーレ原宿で誰かが勝手に立ち上がり、「もうちょっと詰めましょう。さあ、よいしょ!」などとやっていると楽屋で聞いた折だろうか。
もちろんそれが、いつも最前列で僕たちを見ている川勝さんだったのだが、しかしその詰め方はワハハ本舗がやっているのを覚えたとのちに本人が言っていた気もして、さらに作・演出の宮沢章夫さんが当の僕らの楽屋でそのことまで言及していたようにも思うから、そうなるとすでに川勝さんはおぼろげながら知られていたことになる。
あの頃、僕はVOWという雑誌にちょくちょく載せられていて、編集者の渡辺タスク氏の顔を見知っていた。でもって、川勝さんは元いた広告事務所をやめてタスクさんと、今は亡き放送作家・加藤芳一とすでにトーテムポールという会社を作ってはいなかったか。つまりタスクさん経由で、僕はすでに川勝さんをちらっと知っていたのではないかということだ。
まあ、ことほどさように昔のことはよくわからない。わからないまま面白そうな記憶だけが巷間伝えられて、結局そっちが残る。民話みたいなものだ。民話であるならやはり「一人の客がやおら立ち上がり、満員の観客たちに呼びかけて席を詰めた。そして、その客こそ川勝正幸であった」という方がいい。なんなら「ある雪の晩」とつけるとよりそれらしくなるし、詰められている客の中に子ギツネが一匹混じっていて両隣の客のせいで圧迫死の危険があるところを、鉄砲をかついでいた猟師・川勝正幸に救われるのもいい。
「恐縮です」
川勝正幸はキツネの両隣の屈強な村人に話しかけるのであろう。しかし細くなった目の奥は決して笑っていない。そして顔は渋谷の『麗郷』で食ってきた腸詰めのためかテカテカしている。「これはただものじゃあるめえ」と村人は仕方なく子ギツネを膝に乗せてやる。
なのでその日も、ラジカル・ガジベリビンバ・システムの舞台のすぐ前には、川勝正幸が右腕に抱え込んだ猟銃が一挺、まっすぐにおっ立っていたとさ。めでたしめでたし。
そういうわけで、川勝さん民話はたくさんのバンドのライブ、演劇の舞台、雑誌の編集部、パフォーマンスの会場にそれぞれ静かに伝わっているべきだ。語り部は日々、より面白く川勝正幸を語らねばならない。
今日もまた、プレイヤーがいて観客がいる限り、その間に川勝正幸がいるのだ。
≪著者略歴≫