2018年01月30日
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2018年01月30日
本日1月30日は、60年代末~70年代初頭のニューロック期から頭角を現し、横浜ロック・サーキットの主要人物のひとりとして活躍。70年代末のブレイク以降は、そのソウルフルなヴォーカルと“泣き”のギター・プレイで「和製エリック・クラプトン」と称され、数多くのファンを魅了してきた柳ジョージの誕生日である。御存命ならば古希(70歳)を迎える記念すべき歳となっていた。
1948年1月30日、横浜市南大田に生まれた柳ジョージ(本名・柳譲治)は、小学生の頃から、ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシスなどアメリカン・ポップスに夢中になり、中学時代はベンチャーズに憧れ、日大附属藤沢高校2年生の時、友人たちと「フリーメン」というエレキ・バンドを結成。当時日本中に誕生した何百ものアマチュア・バンド同様に、ベンチャーズからビートルズ、ストーンズなどをレパートリーとして、柳はギターとヴォーカルを担当していた。
1966年、日大法学部に進学後に友人たちと結成したバンド「ムー」で都内のディスコにレギュラー出演するようなり、68年には横浜を拠点に活動していた陳信輝(ギター)、竹村栄司(ヴォーカル)等と共に、当時の最新トレンドであるクリームやジミ・ヘンドリックスなどをレパートリーとするブルース・ロック・バンド「ベベズ」を結成し、ベースとハープ(ハーモニカ)、ヴォーカルを担当した。
ベベズは翌69年に「パワー・ハウス」と改名し、レコード・デビューも果たしたが、70年4月に解散。柳は以前から親交のあった成毛滋(ギター、キーボード)、つのだ☆ひろ(ドラムス、ヴォーカル)と共に「ジプシー・アイズ」を結成し、同年10月にステージ・デビューしている。その間に、米軍の徴用のため二度目の脱退を余儀なくされたケネス伊東の後任としてゴールデン・カップスにも参加していたため、当初は掛け持ちで活動していたものの、次第にカップスの仕事が忙しくなり、結局ジプシー・アイズでの活動は断念することになった。残された成毛とつのだは「ストロベリー・パス」名義で活動を続け、71年6月にリリースしたデビュー・アルバム『大烏が地球にやってきた日』のレコーディングには柳も参加している。
ゴールデン・カップスには72年1月の解散まで在籍。その後、ミュージシャン業から足を洗い、半年ほど一般企業のサラリーマンや電気工事の肉体労働に従事していたが、成毛滋に誘われロンドンで2カ月生活しているうちにバンド活動再開を決意する。72年12月に帰国後、いくつかのバンドを経て(そのひとつにはデイブ平尾が再編した新生ゴールデン・カップスもあった)、75年に「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成。しばらく売れない時期が続いたが、77年に萩原健一の主演ドラマ『祭ばやしが聞こえる』(日本テレビ系)の主題歌を手がけたことで注目され、翌78年2月、アルバム『TIME IN CHANGES』でデビューを飾る。
続く78年7月にリリースされたセカンド・アルバム『WEEPING THE RAIN』のタイトル曲の日本語詞ヴァージョン「雨に泣いている」も、萩原健一の主演ドラマ『死人狩り』(フジテレビ系)の主題歌に起用され、オリコン第20位まで上るヒットとなった。以後、「微笑の法則」(79年)、「さらばミシシッピー」(80年) 「青い瞳のステラ 1962年夏…」(80年)と立て続けにヒットを放ち、4作目のアルバム『RAINY WOOD AVENUE』はオリコンNo.1に輝いている。81年にレイニーウッド解散後もソロで活躍。『GEORGE』(82年)、『VACANCY』(83年)、『GOOD TIMES』(84年)といったヒット・アルバムをコンスタントに発表し、日本を代表するロック・アーティストの一人として生涯を全うした。
酒豪の土佐藩主・山内容堂を描いた司馬遼太郎の小説『酔って候』にインスパイアされて作った同名曲をデビュー・アルバムの中で発表したことからもわかるように、無類の酒好きで歴史小説ファンでもあったが、その酒好きが災いしてか腎肝機能障害を患い、2011年10月10日、腎不全のため横浜市内の病院で死去。享年63歳という早すぎる一生であった。
≪著者略歴≫
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。
最新著は『エッジィな男 ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)。
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