2015年08月15日
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2015年08月15日
今日8月15日は70回目の終戦記念日。同じく70回目を迎えた原爆の日(8月6日)に拙稿で紹介した広島原爆投下を題材にした音楽作品を含めて、この70年の間にポピュラー音楽の世界では要の東西を問わず数多の反戦歌が生まれている。中でも、戦争への怒りを激しいストレートなメッセージで歌うのではなく、静かに淡々と訴えかけていく反戦歌として現在も多くの人に親しまれているのが「さとうきび畑」である。
太平洋戦争末期、国内唯一の戦場となった沖縄は、映画『ひめゆりの塔』で知られるひめゆり部隊の悲劇をはじめ、多くの島民たちを巻き添えにした悲惨な戦闘がいたる所で展開された。その沖縄戦で亡くなった父親への想いが静かに歌われる名曲「さとうきび畑」の作者は、リズム・シャンソネットのリーダー兼ピアノ奏者として知られる寺島尚彦(1930年6月4日東京出身)。1954年に東京芸大作曲科卒業後、自らリーダーを務めるシャンソン楽団リズム・シャンソネットを結成した寺島は、64年6月、シャンソン歌手・石井好子の伴奏者として、まだ米国統治下にあった沖縄を初めて訪れる。
公演の合い間に沖縄戦跡のひとつ「摩文仁の丘」(糸満市)を訪ねた時、眼前に広がる緑に波打つさとうきび畑の下に、まだ多くの戦没者の遺体が埋まっているという現実を案内人から知らされ衝撃を受けた彼は、後年「ごうぜんと吹き抜ける風の音だけが耳を打ち、戦没者たちの怒号と嗚咽を確かに聞いた気がした」と、著書『ざわわ さとうきび畑 緑いろのエッセイ』(琉球新報社)の中で記している。
沖縄のさとうきび畑で聞いた戦没者たちの魂の声を「ざわわ」という言葉で表現した11連から成る歌詞にフォーク調のメロディーを乗せた「さとうきび畑」は、完成までに2年以上を要し、総サイズ11分を超える大作だった。この曲を初めて公の場で歌ったのは、石井好子門下生で65年にマヒナスターズとデュエットした「愛して愛して愛しちゃったのよ」をヒットさせ一躍人気歌手となった田代美代子。彼女が67年に新居浜市民会館で行なったコンサートにおいてだった。2年後の69年には、当時「禁じられた恋」「まごころ」の連続ヒットで大ブレイク直後の森山良子が、アルバム『さとうきび畑/森山良子カレッジ・フォーク・アルバムNo.2』の中でタイトル曲として収録。これが初のレコード化となり、以後、森山は「さとうきび畑」のオリジナル・シンガーとして認知されていくのである。
森山ヴァージョンは9分を超える長さもあってシングル・カットはされなかったが、彼女のライヴで歌い続けられ(御本人は恵まれた家庭に育った自分に反戦歌を歌う資格があるのか悩んでいたらしいが…)、沖縄返還の前年となる71年にはNHK『みんなのうた』で上條恒彦によって歌われたヴァージョンが取り上げられた。さらに75年にもNHK『みんなのうた』が、ちあきなおみによるヴァージョンを取り上げたことで、「さとうきび畑」は平和を願うスタンダード・ナンバーとして広く親しまれていったのである。
67年の初演から30年の歳月が流れた97年、NHK『みんなのうた』が三度目にして初のオリジナル・シンガー森山良子によるヴァージョン(リメイク版。別名「みんなの歌ヴァージョン」)を取り上げたことで「さとうきび畑」は久々に脚光を浴び、この曲を初めて知る若い世代からも注目される。その後、森山によって初めてオリジナルの11連からなる完全版「さとうきび畑」がレコーディングされ、2001年12月に「涙そうそう」とのカップリングでCDシングル発売されるとロングセラーを記録。見事2002年度の日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した。
その後も、沖縄出身の新垣勉(2002年) 、夏川りみ(2003年)をはじめ、松浦亜弥(2002年)、錦織健(2004年)等数多くのアーティストによってカヴァー盤が制作され、最近では、安保法案が衆議院本会議で強行採決された6日後という絶妙なタイミングでリリースされた元ちとせの反戦歌カヴァー・アルバム『平和元年』にも、彼女の18歳当時のデモ音源で収録されている。また、中学校の音楽教材としても起用されるなど、まさに国民的な反戦鎮魂歌と言えるだろう。
2003年にはこの歌をモチーフにしたドラマ『さとうきび畑の唄』(TBS/主演:明石家さんま、黒木瞳)が制作され、同年9月28日に放送。最高32.2%という高視聴率を叩き出し、平成15年度文化庁芸術祭テレビ部門大賞を受賞した。そして翌2004年3月23日、思わぬリバイバル・ヒットでテレビやラジオから連日のように「さとうきび畑」が流れていた期間を肺ガン治療のため病床で過ごしていた作者の寺島尚彦が73年の人生に幕を下ろした。反戦メッセージを叫ばない静かな反戦歌と呼ばれた「さとうきび畑」にふさわしく、温和で穏やかな性格の人だったという。
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