2016年01月19日
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2016年01月19日
1月19日は松任谷由実、ユーミンの誕生日である。
ユーミンの才能や魅力や評価については、すでに数多くの人がさまざまな角度から語っている。そこにぼくが駄文を付け加えることもないので、今回は彼女のデビュー当時の思い出話を書かせていただきたい。
ユーミンがデビュー・アルバム『ひこうき雲』を発表したのは1973年のことだった。当時ぼくは『ニューミュージック・マガジン』の編集部にいて、アルバム評のページを担当していた。
毎月レコード会社を回って、テスト盤(見本盤、試聴盤)を借りてきて、取り上げる候補を決め、執筆者に打診して担当を振り分け、原稿が出来上がると、編集記号を加えて写植屋や印刷屋に渡すのが基本的な作業だ。
レコードに手をあげる執筆者がいないときは中村とうよう編集長かぼくが分担して書いた。『ひこうき雲』はぼくが書くことになった。
アルバムを一聴して感じたのは、歌詞の視覚的イメージの見事さだった。「ひこうき雲」や「ベルベット・イースター」のような遠近法や立体感を持つ歌詞は、それまでの日本のフォークやポップスや歌謡曲にはない画期的なものだった。ぼくは評の中で、彼女の伸びやかな音楽を、当時のアメリカの人気お嬢さんシンガー・ソングライター、カーリー・サイモンを引き合いに出してほめた。
しかし点数はけっこう辛くつけた。というのは、当時ぼくは歌と演奏が不可分なロック系の音楽にはまっていたので、歌が演奏から浮き上がって聞こえるこのアルバムが物足りなかったのだ。そこが同じ年に作られ、同じメンバーが演奏していても、細野晴臣の『ホソノ・ハウス』と、このアルバムとのちがいだった。
どちらがいいとか悪いとかの問題ではない。ぼくの点数はロック的な音楽が対象の『ニューミュージック・マガジン』の編集担当者としての判断だったが、制作サイドは、わかりやすくするために、歌を重視していたということなのだ。
とはいえ、レコード会社が全力をあげて彼女を売り出そうとしていたという話を後で聞いて、空気の読めない、おたくな奴とみなされたかもしれないと思った。ま、実際、おたくだったんですけどね。
雑誌にもよるだろうが、当時はレコード会社と音楽雑誌の間に、いまより距離があった。編集長は、レコード会社と意見が対立しても、言うべきことは言えという考え方の持主で、レコード会社が広告を出している号でそのレコードに0点をつけたりしていた。
閑話休題。セカンド・アルバム『ミスリム』が出た後のある日のこと、編集部のチャイムが鳴ったので扉を開けると、ユーミンが立っていたことがある。
渋谷の桜丘町の古ぼけたマンションの一室の、世間的にはアンダーグラウンドな雑誌の編集部に、取材でもないのにポップなミュージシャンが訪ねて来るのは珍しいことだった。
しかし60年代から米軍基地や都心のクラブに出入りして英米の最先端のロックを聞いていたユーミンにとっては、アンダーグラウンドな編集部といえども、勝手知ったるところだったにちがいない。こちらの辛い点数にいやみ一つ言うでもなく音楽談義をして帰った彼女に、ぼくは専門誌の枠に収まらないスケールの大きさを感じた。
ホットパンツ姿で現われた華やかな彼女に編集長が照れていたのも、昨日のことのように思い出される。
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