2016年02月14日
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2016年02月14日
第1回読者投稿
読者投稿コーナーへたくさんのご応募いただき、ありがとうございました。編集部による審査の結果、第1回読者投稿コラムはぐりこ さんの「2月2日、今年も堀内護ことGAROのマークの誕生日がやってきた」に決定いたしました。本誌では読者による投稿コラムを随時募集しております。みなさんのコラムをお待ちしております。
2月2日、今年も堀内護ことGAROのマークの誕生日がやってきた。1949年生まれだから生きていれば67歳。あのマークが67歳なんて信じられない気がする。
46年前・1970年GAROデビュー当時、中学生の私は即ファンクラブに入り、ラジオやテレビの収録、ファンの集いに足しげく通っていたけれど、彼は殿上人だった。オーラがすごくてとても近寄り難かった。
2007年、復帰を果たしてからのマークについては私が一番のファンと自負している。一昨年マークは帰らぬ人となってしまったが、晩年のマークの音楽活動について、彼の誕生日にちなんでファンの立場から、そしてファン代表として少し触れてみたいと思う。
【2007年7月21日 五反田ROCKYで復活】
マークはその1か月前の6月7日に公式で初めてのライブ再スタートしていた。私がマークのライブに通い始めたのはその1ヶ月目のこの日からである。この日、WEBの「GAROFAN」ページの告知を見て、日本中からGAROファンが、マークファンが五反田のわずか40名程度しか入れないライブハウスに集合した。
三声の繊細なハーモニーと華麗なギターテク・・・それがGAROの曲に必要な最低条件。サイドを囲む2人はCASHの太田シノブ氏と渡辺博之氏(アルバム「ウッドストックの夏」でグッド・フレンズとして1994年に参加している)は、それを満たしていた。あの時演奏した、「美しすぎて」と「ロマンス」でマーク(GARO)の復活を感じた。GAROの音楽は難しい。でもそれをちゃんと満たしている音楽がそこにあった。プロのミュージシャン二人は上手にサポートしていた。
そしてそれは私にとって忘れられない日だ。私の人生の新しい扉がマークとその新しい仲間たちによって開かれた日。人生の後半にこんなにドキドキと輝きに満ちた日が送れるようになるなんて夢のようだった。
マークは再びオーラに満ちていた。三十数年という歳月が流れていたけど、確かにGAROのマークだった。彼は、ファンがたくさん集まってくれたのが嬉しくて、ちょっと饒舌になっていた。ファンを喜ばせようと一生懸命ギャグなんか言ってしまって・・・。というところがお茶目だった。こういうサポートメンバーに支えられて今ステージに立っているのだという事を素直に言っているマークは誠実な人だった。GARO復活の日、彼は「時空を超えてここにいる」と言っていた。「たんぽぽ」「遠い春」「ロマンス」「個人的メッセージ」「ディープブルー」など、1stから「吟遊詩人」、ソロまで、またCSN&Y、ビートルズの曲など20曲以上演奏した。
【2009年2月1日 五反田ROCKY還暦の誕生日ライブ】
五反田ROCKYに身動きがとれないほどの人が集まった。知っての通りGAROファンに「学生街の喫茶店」が一番好きと言う人はほとんどいない。当時、リクエストをとったら、1位が「風にのって」(アルバムCIRCUS)と「木の舟」だったそうだ。「木の舟」はマークのソロの1枚目のアルバム「六夢(りくむ)」に入っている。(CSN&YのWOODENSHIPを意識したというこの曲はアルフィーがコーラスに参加している。人生の大航海にでていくというテーマの曲である)。マークは還暦ライブでこの長い、木の舟を演奏した。人生で何度も勇気づけられた曲にこの時また大きな勇気をもらった。
その後マークは病気をしたり、サポートメンバーが変わったりしながらも五反田の月一回のライブを中心に他の場所でもライブ活動をつづけた。私はほとんど欠かさずライブに通った。
【2013年9月25日 アルバム「時の魔法リリース」】
2013年はマークにとって最高の年だった。アルバムの作成。
「時の魔法」にはセルフカバーした曲、新しく作っていた曲が収められている。レコーディングではマークが古い仲間(鈴木茂氏や高橋幸宏氏)を呼んだり、GAROにあこがれて影響を受けたたというアーティスト三沢またろう氏、鈴木雅之氏が参加したりして(鈴木氏はレコーディングの時、GAROのファーストアルバムを持ってきてマークにサインを求めたそうだ)、マークとして最高に充実していた時だと思う。アルバムが出たあとも引き続きマークは創作意欲に満ちていた。その後、太田美知彦氏の事務所に所属して、いろいろなアーティストと大きなライブに参加したり、ニューアルバム「時の魔法」のレコ発ライブをしたりした。
【マークが愛したユニット「CARO」】
2013年1月から、五反田ROCKYのライブはCAROと言うユニット(最鋭輝と「らいむらいと」のお嬢)がサポートしていた。GAROデビューの頃生まれたこの二人と音楽を作っていく事はGAROの頃のハーモニーを作っていった時のように楽しいとマークは語っていた。マークの志を継いだこのユニットは、彼の亡き後も「時の魔法」の新曲もレパートリーに加え、マークをリスペクトしたライブを続けている。
マークが亡くなっても、マークが開いてくれた私の扉の道はまだ続いている。揺らがない。2011年からマークのギターレッスン生だった私は、今もギターを弾いている。たんぽぽのオブリガードを「女性でもソロが弾けるとかっこいいでしょ」「決まったものはないんだよ。スケールの中で音を奏でさえすれば大丈夫。自分の感性で弾きなさい」と。マークは優しく冴えた先生だった。暗い部屋のイントロはまだまだ課題。でもDチューニングで2弦をCにするマーク考案の暗い部屋の音をボロンと弾くといつでもそこにマークがやさしく立っているような気がする。
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