2016年02月15日
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2016年02月15日
1972年(昭和47年)の本日2月15日、平田隆夫とセルスターズの2枚目のシングル「ハチのムサシは死んだのさ」がリリースされた。当時の歌謡界にあって大いに異彩を放ったこの大ヒット曲の誕生の背景には、一体何があったのだろう。
五木ひろしのブレイクでいよいよ軌道に乗り始めたミノルフォンの傘下にスタートした新レーベル、ダンの第二弾シングルとなった「悪魔がにくい」でセルスターズが登場したのは、前年の8月10日。演歌のイメージが強いミノルフォン傘下には、既にポップス系アーティストの移籍によってスタートしつつ、のちにフォーク色の強いレーベルとなるハーベストが新設されていたが、ダンはより洗練されたポップス路線を扱うレーベルとなり、スタート早々ベンチャーズのドラマー、メル・テイラーや、当時キーボード奏者として在籍していたジョン・ダリル(元ファイヴ・アメリカンズ)のソロレコードをリリースしたり、台湾出身の李朱朗(ベンチャーズが曲提供)や「スター誕生!」初の海外大会合格者となった韓国出身のシルビア・リーなど、国際色豊かなラインナップを揃えた。さらには米国のジャズメンが米軍慰問用に吹き込んだ「Vディスク」の復刻シリーズを発売したり、意外なところでは「霧の中の二人」で知られるカナダのロックバンド、マッシュマッカーンの末期の1枚「悪魔のロック」や、後にサイケマニアから密かな再評価を得たシカゴ出身の6人組・SOLOの「Take Life Easy」など、あっと驚く洋楽シングルをライセンス発売したりと、その無節操ぶりはあまりにも時代に先んじすぎたと言っていい位。ちなみに第一回新譜は、当時ヌードモデルとして一世を風靡し、現在もカルトな人気を得続けるフラワー・メグの「ベッドにばかりいるの」(6月1日発売)だが、これにはピンナップポスター付きという特殊形態でのリリースだったため、VA-1という番号のせいでしばしば第一回発売と思われている「悪魔がにくい」と異なり、価格が100円高いVA-2001という特別番号が与えられた。
さて、今回の主役・セルスターズ。以前ピンキーとキラーズのことを書いた時、空前のGSブームの中、女性歌手を前面に据え、非ロック的かつ歌謡の王道とも違う方向性を打ち出したヴォーカル&インストバンドの孤高性(故に再評価が遅れたこと)について触れたが、GSブームが通り過ぎた後、ピンキラが確立したスタイルをよりポップに発展させたバンドの黄金時代がいよいよ訪れることになる。今や和モノレアグルーヴとかソフトロックの文脈で再評価されている、所謂「ラブサウンズ」系統の音だ。ブルーコメッツは女性メンバーを新しく迎えてこの路線に落ち着き、今陽子が脱退したピンキラはニューキラーズへと生まれ変わり、より若々しいサウンドを志向し始める。しかし何といってもその中心的存在を担ったのは、ブラジル'66のラテン色とカーペンターズのMOR感を融合させたペドロ&カプリシャス、そしてこのセルスターズであった。リーダー・平田隆夫もペドロ同様ラテンバンド出身であり、さらにGSのザ・ルビーズ出身である菊谷栄二がギターで参加することにより、ロック的な華々しさが加味された。そして、何といっても前面に立つ二人の女性ヴォーカル、村部レミとみみん・あいの存在感が印象に残るのだ。「悪魔がにくい」は、発売から5ヶ月を経た72年1月10日にオリコン1位に立ち、5週間その位置を独走した。
ライバルのペドロ&カプリシャス「別れの朝」が「悪魔がにくい」から1位の座を奪ったその翌日、畳み掛けるようにリリースされた「ハチのムサシは死んだのさ」。子供心にさえ何と不思議な歌詞なんだろうと訴えかけたその詞は、個性派俳優として知られる内田良平の詩集「おれは石川五右衛門が好きなんだ」からアダプトされたもの。果たしてこれは、社会の厳しさに面して自滅した塞ぎがちな若者のメタファーなのだろうか、未だに謎が残るが、ネット時代となった今でも十分通用する内容ではないだろうか。歌に入る前のコーラスも散々真似したものだ。これも超メガヒットした印象があるが、オリコンチャートでは最高8位、売上枚数は「悪魔がにくい」の1/3強である25.6万枚という記録に留まっている。
ダンからはシングル10枚とLP5枚をリリースし、その後もメンバー交代を経ながら断続的に活動したセルスターズだが、2011年リーダー平田隆夫の死去により活動終了。現在は菊谷英紀(栄二)がそのスピリットを受け継ぎ、西川口で自ら経営するライヴバーを拠点に活動中。その名は「ハチのムサシ」である。セルスターズの元メンバーのみならず、ルビーズの同志と言えるあっと驚くカルトGSの元メンバーも演奏しにやってくる、まさに聖域。こちらのハチのムサシは、死ぬことを知らない…
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