2015年05月14日

日本語のふぉーくとろっくのコンサート

執筆者:中村俊夫

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今から43年前(1972年)の5月13日・14日の二日間に亘って日比谷野音で開催された第4回『日本語のふぉーくとろっくのコンサート』。1970年9月に第1回が開催されたこのイベントは、“日本語の”と冠されていることからもわかるように、当時『ニューミュージック・マガジン』誌上で巻き起こった、日本語詞でロックを歌うことの是非を問うた論争(所謂「日本語ロック論争」)を背景に誕生したイベントである。今回から二部構成の大規模なものになり、両日ともに午後1時~夜8時までという長丁場に多数のアーティストたちが入れ替わり立ち替わりステージに登場するスタイルで、第1部の13日は、泉谷しげる、ブレッド&バター、古井戸、乱魔堂、はちみつぱい等、第2部の14日は、モップス、頭脳警察、成田賢、遠藤賢司、はっぴいえんど等が出演した。 

筆者は71年に開催された第3回が初体験で、この第4回が二度目だったのだが、当時しがない高校生で金銭的余裕もあまり無かったため両日参戦は断念(両日行っても¥1000ぐらいだったのにね)して、お気に入りのエム(The M)を目当てに14日を選択(写真左は当日のチケット半券)。生憎の雨の中を野音まで出かけていったのだが、なんと!エムはメンバーが急病(本当の理由は不明)とやらでドタキャン。脱力感と肌寒い五月雨の中での観覧となったが、何組目かの出演者としてガロが登場した頃には天気も回復し、まだ「学生街の喫茶店」でブレイクする約半年前の彼らは、前年発売したばかりの1stアルバムの中から「地球はメリー・ゴーラウンド」「何もかも遠くに」「暗い部屋」などを歌ったのを覚えている。


なにせ40年以上前のことなので断片的な記憶を頼りに書いており、どこまで正確なのか自信はないが、ガロ以外でステージでは、はっぴえんどが発売前の大瀧詠一のソロ作品「五月雨」「びんぼう」を披露したこと。頭脳警察も発売直前の2ndアルバム(結局、発売停止・回収されてしまうのだが…)収録の「銃をとれ!」でスタートしたこと。小坂忠とフォージョーハーフはアルバム『ありがとう』収録曲が中心だったこと。ムッシュかまやつは、アラン・メリルと大口広司のウォッカ・コリンズを引き連れての出演だったこと。トリ(もしくはトリ前)の遠藤賢司が「満足できるかな」を、途中「シーサイド・バウンド」を挟みこみながら長時間熱唱したこと…なんかを覚えてる。


ラッキーだったのは、ブルース・クリエイション解散後に竹田和夫が松本繁(ベース)、内藤正美(ドラム/後にカルメン・マキ&OZに参加)と共に結成したブラッディ・サーカスのデビューに立ち会えたこと。クリームのような編成とサウンドで、竹田さんのエリック・クラプトンばりのギター・プレイがカッコ良かった。コンサートの主旨上、彼が日本語のオリジナル曲(タイトルは不明)を歌ったのは、あれが最初で最後ではないだろうか。彼らはこの後、英国に武者修行に出発。翌年秋に帰国し「クリエーション」が始動する。


『日本語のふぉーくとろっくのコンサート』は、翌1973年10月14・15日に第5回(写真右はB4サイズのフライヤー)が開催され、筆者も観に行っているのだが、結局この回が同イベントの最後となってしまった。ほぼ時を同じくして、「日本語ロック論争」を吹き飛ばしてしまう勢いのキャロルが鮮烈なデビューを飾り、和製ロックに“日本語の”という但し書きが不要な時代が到来すると共に、同イベントも存在意義を失ってしまったのである。

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