2015年08月25日

初のオリコン・チャートインを果たしたオリジナル曲「ロマンス」は、解散の危機にあったGARO立て直しの「延命策」だった!?

執筆者:中村俊夫

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今から42年前(1973年)の今日8月25日は、GARO(ガロ)の通算6枚目のシングル「ロマンス」がリリースされた日である。堀内護(マーク)、日高富明(トミー)、大野真澄(ボーカル)の3人で結成されたGARO(当時彼らの世話役的存在だった元タイガースのマネージャー中井國二が、自分に息子ができたら名付けようと考えていた名前「我郎」がグループ名の由来)は、1970年10月18日に東京サンケイホールで行なわれたフラワー・トラヴェリン・バンド(FTB)のカナダ遠征壮行コンサートの休憩時間にロビーに出て来た観客の前で、いきなり「青い眼のジュディ」を演奏するというゲリラ・ライヴを敢行。その意表をついたステージ・デビューで、日本のロック・シーンに、CSN&Y(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)のようなアコースティック・ギター・サウンドと洗練されたハーモニーを標榜するグループが登場してきたことを鮮烈にアッピールしたのである。


 

71年10月10日、ミッキー・カーチスのプロデュースの下、メンバーの大野(作詞)と堀内(作曲)によるオリジナル作品「たんぽぽ」でレコード・デビュー。同年11月25日には、全10曲中2曲の作詞を除いてメンバー作のオリジナルでまとめられた1stアルバム『GARO』をリリースし、そのリリシズムあふれるサウンドとメロディー作りのセンスの良さ、絶妙なコーラス・ワークで高い評価を得ていたが、まだ一部のロック・ファンから注目されていただけで一般的な認知度は低く、その作品性の高さにそぐわずセールス的にはあまり芳しいものではなかった。


その打開策からか、72年6月10日にリリースされた3枚目のシングル「美しすぎて」は、彼らの原盤制作を行なっていたアルファ・アンド・アソシエイツの社長でもあった作曲家の村井邦彦と、彼と共に数多くのヒット曲を世に送り出している作詞家の山上路夫のコンビによる作品で、B面には同じく山上路夫が作詞、すぎやまこういちが作曲を手がけた「学生街の喫茶店」がカップリングされていた。GAROにとって初の外部作家の提供曲によるレコードだったが、有線放送などで「学生街の喫茶店」の反応が良く、AB面を逆にして発売し直したところ翌73年にオリコンチャート7週連続第1位に輝く大ヒットを記録。ガロは一躍人気グループとして脚光を浴び大ブレイクしたのである。


 

「学生街の喫茶店」がロングセラーとなり、まだヒットの勢いが衰えなかった72年10月10日にリリースされた4枚目のシングル「涙はいらない」は、堀内が書いた最高傑作との誉れ高い作品であったにも関わらず不発に終わってしまう。そのため、次のシングルは、再び山上・すぎやまコンビによる提供曲「君の誕生日」が取り上げられ(B面曲「散歩」は山上・村井コンビの作品)、73年5月10日にリリース。ほとんど「学生街の喫茶店」の二番煎じのような楽曲だったが、制作サイドの思惑どおり見事オリコン1位に輝いた。


 

2曲続けて外部作家の提供曲が大ヒットとなったことは、デビュー時からオリジナル曲を書いていた堀内と日高の自尊心を傷つけ、彼らのグループ活動に対するモチベーションも低下。以前からメンバー間の不仲などで何度か浮上していた解散話が再び持ち上がり、人気絶頂の超売れっ子グループの実態は、いつ崩壊してもおかしくない深刻な状況だったのである。レコード発売元の日本コロムビアも原盤制作会社のアルファ・アンド・アソシエイツもドル箱を手放すわけにはいかず“延命策”を講じる。それにはメンバーのモチベーションを高めながらヒットを連発することが一番であると考え、次回のシングル曲をメンバーも含む20人の作家たちに競わせるコンペ方式で決めることにしたのである。


コンペに寄せられた20曲のデモテープの中から最終審査に残ったのは、山上・村井コンビの「一枚の楽譜」「おぼえているかい」、山上・すぎやまコンビの「二人だけの昼下り」、そして堀内の「ロマンス」であった。この4曲の中で日本コロムビア内で圧倒的に人気が高かったのが「ロマンス」で、結局コンペ応募者であり審査委員でもあるという複雑な立場だった村井邦彦も楽曲のクオリティの高さを認め、「ロマンス」が次作シングル曲に決定するのである。以前、堀内氏にこの経緯についてお話を伺ったことがあるが、自作曲がコンペを勝ち抜いて選出された時は嬉しくて天にも昇る気持ちだったという。レコード化された同曲の全編に流れる印象的なマンドリンの音色は、デモテープの段階でも堀内氏自らの演奏で録音されており、このアレンジの新鮮さも審査するスタッフたちの耳を傾けさせる一因だったのかもしれない。


こうして選出された「ロマンス」は山上路夫が作詞、大野克夫が編曲を手がけ、1973年8月25日に「二人だけの昼下り」とのカップリングでリリース。オリコン3位まで上るヒットとなった。GAROのメンバー作のオリジナル曲で、オリコン100位内にチャートインしたのはこれが初めてである。73年の1年間だけで「学生街の喫茶店」「君の誕生日」「ロマンス」の3曲をヒットさせ一世を風靡した彼らは、この年のレコード大賞で大衆賞を獲得した他、NHK『紅白歌合戦』にも初出場を果たした。制作サイドの延命策は見事に功を奏して、GAROはあと2年ばかり“寿命”を延ばすことができたのである(75年12月25日解散表明)。


写真提供 芽瑠璃堂
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