2016年08月19日
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2016年08月19日
本日8月19日は「バイクの日」だそうな。まぁ、単なる「819」のゴロ合わせからだろうが(「俳句の日」のでもある)、今から27年前1989年に内閣府(当時は政府総務庁)の交通安全対策本部が二輪車交通事故撲滅を目的に制定したそうだ。バイクといえばやはりこのグループを連想する人も多いのでは? ということで、本日のコラムのテーマは “疾走ロックン・ロール集団”クールス。
1974年、バイク好きの遊び仲間4人(館ひろし・岩城晃一・佐藤秀光・村山一海)が結成したハーレー・チーム『マカオ』は、やがて総勢21人に膨れ上がり、黒い革ジャンにリーゼント、黒のマシーンをトレードマークにしたスタイリッシュなバイク集団『クールス』へと成長。ファッション雑誌にも取り上げられるなど東京・原宿界隈では有名な存在となった。
75年4月13日に日比谷野音で開催されたキャロル解散コンサートでは、親交のあった矢沢永吉からの依頼で会場の警備を担当。一躍クールスはキャロル・ファンはもとより芸能関係者たちからも注目され、先ずリーダー格の岩城晃一が俳優デビューを飾った。続いて館ひろし(vo)、水口晴幸(vo)、村山一海(vo)、ジェームス藤木(g)、飯田和男(g)、大久保喜市(b)、佐藤秀光(ds)の選抜メンバーによるバンド・デビューが決定。ロックン・ロール・バンド『クールス』の誕生である。
1975年9月21日、矢沢永吉が「五代洋光」のペンネームで作曲したシングル「紫のハイウェイ」と、矢沢の他、近田春夫、ジョニー大倉なども作曲陣に加わって制作されたアルバム『黒のロックン・ロール』でデビューしたクールスは、3人のヴォーカリスト+バック・バンドというスタイルにも現れているとおり、シャナナ風の50年代アメリカン・ポップスをベースとしたサウンドと、筋金入りのバイカーらしさを打ち出したヴィジュアルで世間に強烈なインパクトを与え、たちまち人気バンドとなっていった。
1977年に館ひろしがグループより独立。新たに佐藤秀光をリーダーとして再出発を図った彼らは、レコード会社移籍を機に「クールス・ロカビリー・クラブ」と改名。78年4月リリースの移籍第3弾アルバム『ザ・クール』で、男臭いロマンあふれる世界観と50s&60sアメリカン・ポップス、マージー・ビート、R&Bなどが一体となった独特の音楽スタイルを確立する。そして、その音楽的中核を担ったのは、何と言っても彼らのオリジナル曲の大半を作曲していたギタリストのジェームス藤木で、彼の類い稀なソングライティングの才能と黒人音楽へのマニアックな探求ぶりこそ、クールスを他の凡百のキャロル後追いバンドとは一線を画す決定的なファクターとなったのである。
そんな藤木の才能にかねてより一目置いていたのが、クールスと同じく50s&60sアメリカン・ポップスとR&Bを音楽的ルーツに持つ山下達郎だった。彼がプロデュースを手がけたシングル「センチメンタル・ニューヨーク」(78年)と、ニューヨーク録音アルバム『NEW YORK CITY,N.Y.』(79年)において、このふたつの偉大な才能のコラボレーションが実現。山下のサウンド・メイキングはクールスのソフィスケイトされた新たな魅力を引き出すことに成功している。
このように音楽的充実と成長を遂げていったクールスだったが、音楽メディアからは無視され続け、常にマスコミに流布されるのは“暴走族出身バンド”という強面のパブリック・イメージだけであった。その後、79年末の水口の脱退と再度のレコード会社移籍を契機にバンド名を「クールスR・C」と改名。より本格的なR&B色の濃いサウンドを展開すると同時に音楽的な幅の広がりを見せ、ようやく音楽メディアも正当な音楽的評価を下すようになってきた。時代がクールスに追いついたのかもしれない。元々クールスのローディーで、今や天下のクレイジーケンとしてその名を知られる横山剣(vo)が在籍していたこともあるこの時期こそ、クールスのパブリック・イメージを変えた最も豊饒な音楽的充実期と言えるだろう。
その後、メンバー・チェンジとグループ名の変更をくり返しながらも、根強いファンたちに支えられ息の長い活動を続けていったクールス。90年代後半から長い“休眠”期間があったものの、デビュー35周年を迎えた2010年前後からは散発的ながら活動を再開。今年でデビュー41年目を迎えたが、彼らの放つ男くさい美学とソウルフルなロックン・ロールは今でも健在である。
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