2015年06月25日
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2015年06月25日
1972年6月、横浜を拠点とするバンド「ヤマト」のメンバーだった矢沢永吉(ベース、ヴォーカル)と、川崎を拠点とするビートルズ・コピー・バンド「ジュリア」で活動していたジョニー大倉(ギター、ヴォーカル)に、関東学院大学の学生だった内海利勝(リード・ギター)、そして、その後何度も入れ替わるドラマー(最終的にはユウ岡崎に落ち着く)が加わった4人で結成されたキャロルは、同年8月に、かつてカーナビーツもレギュラー出演していた横浜・伊勢佐木町の「ピーナッツ」(当時はディスコ)でステージ・デビュー。店のレギュラー・バンド(所謂「ハコバン」)として、荒くれ米兵や、“夜の女”たちと連れの酔客などを相手に、ビートルズ・ナンバーやオールド・ロックンロール、時おり客のリクエストに応えての最新ヒット曲などを毎夜演奏する日々で、それは東京・蒲田のキャバレー「ウラシマ」に拠点を移してからも続いた。
そんな彼らに転機が訪れたのは、1972年10月8日、フジテレビの若者向け情報バラエティ番組『リブ・ヤング!』に出演した時だった。愛川欣也が司会を務め、毎週日曜日の昼下がりに生放送されていたこの番組の中で、英国で流行していたグラム・ファッションから派生した50年代リバイバル色の濃いロキシー・ファッション(初期のロキシー・ミュージックの格好が代表的)特集の一環としてロックンロール・パーティーが企画され、ジルバを踊れる一般出演者を募集しているのを知ったジョニーがバンド出演を希望して応募。当初は門前払い状態だったが、矢沢の猛烈な売り込みでキャロルの出演が実現したのである。
ハンブルグ時代のビートルズに触発されたリーゼント&革ジャン・スタイルで、エネルギッシュにロックンロールをプレイするキャロルの姿は全国の視聴者たちに強烈なインパクトを与えた。かつてロカビリー三人男として活躍し、当時は音楽プロデューサーとしてガロ、小坂忠などを手がけていたミッキー・カーチスもそんなひとりで、たまたま自宅で放送を観ていた彼はすぐさまフジテレビに電話を入れて、翌日にはキャロルと契約。さっそくレコーディングが行なわれ、TV出演からわずか2ヵ月後の72年12月20日、矢沢の作曲、ジョニー作詞によるオリジナル「ルイジアンナ」でキャロルはレコード・デビューを果たした。
ミッキー・カーチスのアイディアで、新人グループとしては異例の毎月1枚というハイペースでシングル・リリース計画が組まれ、「ルイジアンナ」発売の翌月には、軽快なブギーの「ヘイ・タクシー」をリリース。以後、「やりきれない気持ち」「レディ・セブンティーン」、「彼女は彼のもの」「0時5分の最終列車」と、毎月キャロルの新曲が全国のレコード店頭に並び、新曲が出るたびにメディアの露出量と店頭におけるキャロル作品の占有率も増えていった。
そして、この“月1シリーズ”の最後を飾る7thシングルとして、今からちょうど42年前の今日、1973年6月25日にリリースされたのが、デビュー曲以来、歴代シングル両面を飾ってきた名ソングライティング・コンビ「ジョニー&矢沢」の最高傑作と言っても良い「ファンキー・モンキー・ベイビー」だった。キャッチーなイントロ、サビメロ、どこをとっても無駄のない見事な曲構成のこの曲は、当時の日本のロック作品としては破格の10万枚を超えるヒットとなり、翌月リリースされた同名アルバムも7万枚という好調なセールスを記録。一躍キャロルは国民的知名度を誇る人気バンドへと大ブレイクするのである。
プリミティヴなロックン・ロールにマージー・ビート的な感覚がミックスされたサウンドと60年代初頭の漣健児の和訳カヴァー・ポップスをほうふつさせる“日本語英語”的な歌詞を意匠としたキャロルの原点回帰とも言える音楽スタイルは、ニューロック台頭以降、テクニック至上主義と反商業主義が蔓延し低迷を続けていた70年代初頭の日本のロック状況を根底から覆すほどの強力なインパクトと新鮮な魅力にあふれていた。
そのキャッチーな音楽性とファッショナブルな感覚は、これまでロックとは無縁だった世代層から熱狂的に支持され、キャロルのライヴ会場には、ヤンキー風リーゼント族や、GSブーム終焉以来、久しく絶えていた黄色い嬌声を上げるローティーンの女の子たちが押し寄せ、従来のロック・コンサートのメイン・オーディエンスだったヒッピー風ロングヘアーのハード・ロック・ファンを凌駕していった。ここに日本のロック・マーケットは確実に新たな裾野を拡げたのである。
複雑化していったロックに対するアンチテーゼとして、シンプルでポップなサウンドとファッション性で新たなマーケットを創成していったという意味では、同時代のグラム・ロックや70年代末に巻き起こったパンク・ムーヴメントとも一脈通じる部分を持ち合わせていたキャロル。まさに「日本ロック中興の祖」と呼ぶにふさわしい存在だ。
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