2016年04月13日
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2016年04月13日
1972年12月20日、「ルイジアンナ」でレコード・デビュー後、そのプリミティヴなロックン・ロールにマージー・ビート的な感覚がミックスされたサウンド、そしてハンブルグ時代のビートルズをほうふつさせる革ジャン&リーゼント・スタイルで、これまでロックとは無縁だった世代層(ヤンキー風リーゼント族や女子中高生)から熱狂的に支持され、日本のロック・マーケット拡大に多大な貢献をしたキャロル。まさに新時代のヒーローたる強烈なオーラを放っていた彼らだったが、バンド内部では人気絶頂期からすでに軋みが生じていた。ジョニー大倉と矢沢永吉の確執である。
73年11月23日、小樽公演の前にジョニーが突如として失踪・行方不明となったため、キャロルはしばらく3人で活動を続ける。公にはジョニーの入院治療のためと発表されたが、矢沢との確執や人気バンドならではの急激な環境変化による精神的苦痛に耐えかねての失踪であったことは間違いないだろう。翌74年1月からは新メンバーとして元・乱魔堂の猿山幸夫(愛称サミー)が加入するものの在籍期間はわずか1ヵ月ほどで、2月20にはジョニーが復帰。元NHKディレクターの龍村仁が監督を務めたドキュメンタリー映画『キャロル』(ATG/74年6月公開)の撮影が始まった。
オリジナル・メンバー編成に戻った直後の74年3月、パリで開催された山本寛斎のファッション・ショーに出演し。同年8月には福島県郡山で開催された野外フェス『ワンステップ・フェスティバル』に出演など、今や伝説となっている歴史的なライヴ・パフォーマンスを披露したキャロルだったが、バンド内部では活動の方向性をめぐってメンバー間の対立が生まれていた。それはやがて統制の取れない事態までに進み、ついに74年12月30日、キャロルは解散を発表する。
翌75年1月19日に両国日大講堂で行なわれたコンサート(アルバム『GOOD-BYE・CAROL』に4曲収録)が解散ライヴとなるはずだったが、ファンたちの強い要望に応えて急遽3月16日~4月5日まで富山、旭川、札幌、名古屋、京都、徳島、郡山、仙台、小倉などを廻るツアーを決定。さらに東京・日比谷野音でのラスト・ライヴも追加されたのである。
こうして今から41年前の今日1975年4月13日、朝から小雨がパラつく花冷えした天気の中、日比谷野音はキャロルとの別れを惜しむ約7000人のファンで埋め尽くされた。当時社会問題にもなっていたキャロルのコンサート会場でのエキサイトした観客同士の喧嘩や暴動に対応して、矢沢と親交のあったバイク・チーム『クールス』が警備係として動員されたこともあり、会場にはバイカー風の若者も多く目立っていた。
前座陣のトリを務めたバッド・ボーイズのステージ(お得意のビートルズ・コピーの他、キャロルの「ハニー・エンジェル」をカヴァー)が終わると、いよいよキャロルが登場。オープニングの「ファンキー・モンキー・ベイビー」から炸裂するサウンドと観客の興奮が一体となった熱狂の中で、キャロル最後の熱演が展開されていく。
途中、大野真澄(ガロ)、なぎら健壱、武田鉄矢 、デイブ平尾、内田裕也などゲストの挨拶を挟んでライヴ後半に突入。ラストの「ルイジアンナ」で会場の熱狂はピークに達する。そして3曲続いたアンコール最後の曲「ラスト・チャンス」終了直後、演出効果で放った爆竹の残り火が舞台を形作っていた発砲スチロールに燃え移り、ステージの天井まで炎上するというハプニングの中でコンサートは終了。それは文字どおり燃え尽きたキャロルとひとつの時代の終わりを象徴するような光景であった。
この翌年、ロックンロール・バンドとしてデビューすることになるクールスのリーダー佐藤秀光の証言によると、コンサート終了後、雨の中を佐藤と一緒に日比谷から打ち上げ会場まで徒歩で向かっていた矢沢は、途中、国会議事堂の前で立ち止まると、しばらく議事堂を無言で見つめていたという。そこで彼が見据えていたのは何だったのだろう? E.YAZAWAへとヴァージョンアップする未来だったのだろうか?
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バイク・チームがロックン・ロール・バンドへと転身。強面バイク集団のパブリック・イメージを、その音楽的充実と成長によって払拭し、正当な評価を得るに至ったクールス41年の歩み。text by 中村俊夫
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