2016年10月12日
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2016年10月12日
1980年代には日本独自編集のLP『ジーン・ヴィンセントVSエディ・コクラン、激突ロックン・ロール!!』が東芝EMIから発売されるなど、1950年代に活躍したロックンローラーであるジーン・ヴィンセントとエディ・コクランは、ライバルのように語られることがとても多い。
実際の両者はとても仲のよい友人同士で、60年には初のイギリス・ツアーを一緒に行なっている。そして、すべての公演を終えて空港に向かう途中、タクシーが街灯に激突してエディの命を奪う痛ましい交通事故が起きた際には、ジーンも車に同乗していたが、彼のほうは九死に一生を得た。なお、同じ車にはエディの婚約者シャロン・シーリーも乗っていたが、彼女も奇跡的に助かり、のちにジャッキー・デシャノンとソングライター・コンビを組むなど、ポップ・シーンで活躍している。
そんなジーン・ヴィンセントとエディ・コクランであるが、ロックンローラーとしての個性には、実は結構な違いがあった。明朗でタフなイメージのエディに対し、クールで不良なイメージのジーン。ビートルズに例えると、ポール・マッカートニーがエディ・タイプなら、ジョン・レノンはジーン・タイプだろうか。ポールが『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』(89年)で取り上げている「トゥウェンティー・フライト・ロック」と、ジョンが『ロックン・ロール』(75年)で取り上げている「ビー・バップ・ア・ルーラ」を聴いてみれば、その影響力の大きさがよく分かるはずだ。
1935年2月11日、バージニア州ノーフォークに生まれたジーン・ヴィンセントは、カントリーのプロ歌手になる夢を抱き、海兵隊を除隊した21歳のとき、ノース・カロライナで音楽活動を開始。この頃に結成されたのがバック・バンドのブルー・キャップスで、リード・ギターのクリフ・ギャラップを中心としたロカビリー・サウンドは、ジーン・ヴィンセント作品の重要な核となった。
やがて西海岸のキャピトル・レコードと契約したジーン・ヴィンセント・アンド・ヒズ・ブルー・キャップスは、56年夏に全米7位の大ヒットとなった「ビー・バップ・ア・ルーラ」で人気が爆発した。ジーンの痺れるようなロックン・ロール唱法と、クリフ・ギャラップが得意としたギャロッピング・ギター・サウンドは、同時代のアメリカの若者たちの心を鷲掴みにしたばかりか、その勢いはイギリスや日本にも波及。平尾昌晃やミッキー・カーチスといった和製ロカビリー・スターたちが日劇ウェスタン・カーニバルで「ビー・バップ・ア・ルーラ」をカヴァーして黄色い歓声を浴びている。
そんなジーン・ヴィンセントは、アメリカでは60年代以降ヒットに恵まれなかったが、エディ・コクラン同様、イギリスをはじめとするヨーロッパでは根強い人気を誇り、本国以上に数多くのシングルやアルバムをリリース。71年10月12日に胃潰瘍が原因で死去(享年36)したが、彼が遺したクールなロックン・ロールは、いつまでもレコード盤上で蒼き青春の光を放ち続けることだろう。
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