2016年02月08日

2月8日は「ロカビリーの日」。

執筆者:中村俊夫

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今日2月8日は「ロカビリーの日」。いつ記念日に制定されたのかは不識だが、今から58年前(1958年)のこの日、東京・有楽町の日劇(現・有楽町マリオン)で、第1回『日劇ウエスタン・カーニバル』が開催されたことが「ロカビリーの日」制定の由来となっている。


実は「ウエスタン・カーニバル」と題されたイベントが開催されたのは、これが初めてではなかった。その5年前に遡る1953(昭和28)年から有楽町ビデオホール(別名よみうりホール、現・角川シネマ有楽町)で毎年春秋2回づつ『ウエスタン・カーニバル』が開催されていたからだ。


タイトルの<ウエスタン>は、戦後ジャズと共に日本の若者たちを惹き付けブームとなったウエスタン・ミュージック(カントリー&ウエスタン)を指しており、日頃ジャズ喫茶や米軍キャンプ等で活動しているウエスタン系バンドが一堂に会する、まさにカントリー&ウエスタンの祭典なのである。


1955年、海の向こうアメリカで、エルヴィス・プレスリーのRCA移籍第一弾「ハートブレイク・ホテル」が全米No.1ヒットとなり、一大センセーションを巻き起こすと、エルヴィス人気はロックとカントリー・ミュージックを意味するヒルビリーを掛け合わせた造語<ロカビリー>と共に、もの凄い勢いで世界中に伝播していった。


翌56年には日本でもウエスタン・バンド「ワゴン・マスターズ」のシンガー小坂一也が、いち早く「ハートブレイク・ホテル」のカヴァー盤をリリース。以後「I Want You, I Need You, I Love You」(56年)、「冷たくしないで」(57年)とプレスリー・ナンバーのカヴァー盤を連発し、のちに続々と登場する<和製プレスリー>の先陣を切った。


日本でのプレスリー人気の高まりと共に、ウエスタン系バンドが次々とロカビリーにシフトを変え、57年秋に開催された第8回『ウエスタン・カーニバル』では、サンズ・オブ・ドリフターズ、チャック・ワゴン・ボーイズ、ウエスタン・キャラバンといったオーソドックスなウエスタン・バンドに混じって、ミッキー・カーチスを擁するブーツ・ブラザース、平尾昌章(現・昌晃)を擁するオールスターズ・ワゴン、そして小坂一也のワゴン・マスターズなどロカビリー・ナバーをレパートリーに取り入れたバンドの活躍が目立った。


そんな状況に目を付けたのが、のちに<マダム・ロカビリー>の異名を取る渡辺美佐(現・渡辺プロダクショングループ代表)である。日本女子大在学中から米軍キャンプに出入りし、日本人バンドのブッキング等を手がけ、55年には夫の渡辺晋と共に渡辺プロダクションを設立した彼女は、妹の曲直瀬道枝(現マナセプロダクション社長)に誘われて行ったジャズ喫茶で、ロカビリーに熱狂する若者たちを目の当たりにして、すでに下火となっていたジャズに代わる新時代の音楽はこれだと直感。ロカビリー・バンドを大劇場に集めて公演するイベントを思い付く。


さっそく、ビデオホールでの『ウェスタン・カーニバル』を取り仕切っていた堀威夫(現ホリプロ ファウンダー最高顧問)と話を付け、有楽町の日本劇場を運営する東宝と交渉の末、1958年2月8日~16日にかけて日本初のロカビリー・ショーの開催を実現する。これが第1回『日劇ウエスタン・カーニバル』である。出演はミッキー・カーチス(クレイジー・ウエスト)、平尾昌章(オールスターズ・ワゴン)、山下敬二郎(ウエスタン・キャラバン)、スイング・ウエスト、寺本圭一、水谷良重、中島そのみ、朝比奈愛子、他。観客動員数は初日だけで9,500人、1週間で40,522人を計上。ドーム球場や日本武道館など大規模会場が存在しない当時としては異例の記録だった。


ティーンエイジャーたちで埋め尽くされた満員の会場は凄まじい嬌声と熱気で包まれ、無数の紙テープが飛び交い(パンティを投げた猛者もいたらしい)、熱狂した女の子がステージにかけ上がり歌手に抱き付くといった光景は、かつて日本では見られなかったもので、その後のGSブーム時を経て現在まで受け継がれている熱狂的ファン行動のルーツと言って良いだろう。


こうして第1回『日劇ウエスタン・カーニバル』は大盛況のうちに終了。ミッキー・カーチス、平尾昌章、山下敬二郎は<ロカビリー三人男>と呼ばれ一躍スターダムにのし上がる。爆発的なロカビリー・ブームは単に音楽シーンに留まらず、社会現象としてメディアを賑わせ、若者文化を形成していった。まさに我が国のロック史が幕を開けた瞬間である。


『日劇ウエスタン・カーニバル』はその後も回を重ね、第2回(58年5月26日~6月1日)で水原ひろし、井上ひろし、守屋浩の<三人ひろし>、第3回(58年8月25日~9月2日)では坂本九といった具合に新しいスターを次々と生み出していった。ロカビリー・ブームが終息した60年代にはグループ・サウンズ(GS)の祭典として、そして70年代はジャニーズ系を中心とした少年アイドルの祭典として機能しながら、77年8月まで計56回公演が行なわれている。


81年1月22~25日には、老朽化のため日本劇場の閉鎖・解体が決定したことを受け、内田裕也プロデュースによる『サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル』が開催され、スパイダース、ダニー飯田とパラダイスキング、寺内タケシとブルー・ジーンズ、スリー・ファンキーズ、ブルー・コメッツ、ワイルド・ワンズ、タイガース等が出演。客席のオールド・ファンたちと共に日劇との別れを惜しんだ。
今、甦るウエスタン・カーニバル ロカビリー三人男&3人娘 スペシャル・コンサート2005(DVD付)

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