2016年12月07日
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2016年12月07日
ピアノの上で、タバコの吸い殻が灰皿を一杯にしている。その横にはライ・ウイスキーだろうか、グラスに入っている。ビールの瓶が飲みかけのまま無造作に置いてある。バーの雇われピアノ弾きだろう、若者が疲れきったように、うつ伏すというか、そのピアノに寄りかかっている。壁の時計は、3時22、23分あたりを指している。
深い夜の、文字通りのクロージング・タイムだ。ひょっとすると、とっくに過ぎているかもしれない。客は、誰一人としていない。煙草と酒の匂いといろんな人生が、それに寄り添う悲喜こもごもが壁に染みついたような、裏通りからさらに二本ほど脇に入ったところに位置する小さなバーのように思われる。
トム・ウェイツと、彼の歌と出会ったのは、ジャケットからして歌が聴こえてきそうなこのアルバム『クロージング・タイム』が初めてだった。もちろん、写真の若者はトム・ウェイツで、撮ったエド・カラエフは、モンタレー・ポップ・フェスティヴァルでのジミ・ヘンドリックスが有名だが、この写真だって負けてはいない。
1973年、ロサンゼルスに新設されたアサイラム・レコードからのアルバムで、デビュー作でもあった。ジャクソン・ブラウン、ジュディ・シル、J.D.サウザー、イーグルス等々、才気あふれる新人たちが、同レーベルから次々とデビューし、カリフォルニアの新しい景色を描いていたが、トム・ウェイツも、そんな一人だった。
ただし、他のシンガー・ソングライターたちに比べると、音楽といい風体といい、異才を放っていた。例えば、他の人たちの音楽が、主にカントリー・ロック調の爽やかな新風をともなっていたのに対して、この人にはそういうのはまるでなかった。1950年代のビートニクを気取ったような、ジャズやブルースに近い言語で、何処か懐かしさをも引き寄せながら語りかけてきた。
いつ以来のことになるだろうか。久々にその『クロージング・タイム』を取り出して聴いた。女性のところから古いお気に入りの車に乗って帰宅する男の歌「オール55」がイーグルスやイアン・マシューズに、「マーサ」がティム・バックリーやベット・ミドラーに取り上げられた。その歌声が聞こえるだけで、路地裏の深夜のバーに足を踏み入れたようになったのも懐かしい思い出だ。
それどころか、酔いつぶれて、路地裏でうずくまり、幾ら吐いてもまだ胃の腑に何か残っているような、そのまま我が身を置いて立ち去りたくなるような錯覚さえ抱いたこともあった。歌の向こうには、ネオンサインの文字が幾つかはがれたモーテルや、ハイウェイ沿いの夜更けのコーヒーショップがみえた。世の中からはみ出したり、こぼれ落ちたりした人生の数々を、彼は、酔っぱらったようなダミ声で、呟くように、時にがなり立てるように歌った。
フランシス・フォード・コッポラやジム・ジャームッシュに見初められ、映画界でもその個性が重宝されるようになった。リッキー・リー・ジョーンズとの無防備で無邪気な青春も有名だが、キース・リチャーズとの友情も良く知られるところだ。「最後の一葉」を含めて絶品の共演も幾つかある。
一時期、ニュージャージーに住んでいた妻のキャスリーン・ブレナンに向けて書いた「ジャージー・ガール」は、ブルース・スプリングスティーンの、故郷でのライヴには欠かせない歌の一つだ。そのスプリングスティーンとは、同じ1949年生まれ、しかも、デビューも1973年で、新しい世代のディランと並べて語られたこともある。
12月7日は、そのトーマス・アラン・ウェイツが生まれた日だ。カリフォルニア州のポモーナという小さな町だった。その時の様子を彼はこう振り返る。「生まれたのは、病院の玄関先にすべり込んだタクシーの中さ。料金メーターさえ回ったままだった。こう叫んだよ、『急いでやってくれ、タイムズ・スクエアまで ! 』と」。誰がどう考えても、大ボラだけど、それも憎めないというか、そんな話も楽しくなってくるようなところが、この人にある。
多くの人が真実を歌おうとする、少なくともそれに近づこうとする。ところが、この人は、真実が必ずしも最良だとは限らないことを、嘘でも、真実よりは大切な時が、創られた物語でも大切なことがある、そんなことを教えてくれたような気がする。もうすぐやってくる今年の大晦日には、そんな歌の一つ、そして近年の傑作(とぼくは、信じている)「ニュー・イヤーズ・イヴ」でも聴こうかと思う。
≪著者略歴≫
天辰保文(あまたつ・やすふみ):音楽評論家。音楽雑誌の編集を経て、ロックを中心に評論活動を行っている。北海道新聞、毎日新聞他、雑誌、webマガジン等々に寄稿、著書に『ゴールド・ラッシュのあとで』、『音が聞こえる』、『スーパースターの時代』等がある。
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