2018年11月06日
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2018年11月06日
「ウイ・アー・イーグルス、フロム・ロサンゼルス」、グレン・フライのそれが、彼らの第一声だった。彼らとは、もちろん、イーグルスだ。その言葉に続いて、「テイク・イット・イージー」が始まった。アコースティック・ギターの乾いた音色が重なり、爽やかなコーラスがそこに絡む。すると、軽やかな躍動感がそこいらじゅうにみなぎり、武道館の、普段は素っ気ない光景が、一気にカリフォルニアのそれに変わった。
1976年2月、イーグルスの初来日公演だ。5人のメンバーは、ジーンズに、思い思いのシャツ、普段着というか、ぼくらと変わらないような服装だった。ステージも、これといって演出らしきものはなかったが、彼らの歌と演奏があれば、それで充分だった。40年以上も前になるのに、2年前、グレン・フライの悲報をきいて、最初に思い出されたのが、この光景だった。
今日11月6日は、そのグレン・フライの誕生日にあたる。1948年生まれなので、存命なら、ちょうど70才だ。頭の上にサングラスを乗っけて、気取りのない軽やかなたたずまいが、この人にはあった。ドン・ヘンリーのように、世の中を深刻に受け止め、人生の重みや翳りを描くことはなかったけれど、誰が何と言っても、ヘンリーと共にイーグルスの両翼を担い続けた人だった。
「テイク・イット・イージー」はもちろんだが、「ピースフル・イージー・フィーリング」、「テキーラ・サンライズ」、「いつわりの瞳」、「ニュー・キッド・イン・タウン」、「ハートエイク・トゥナイト」と、数多くのイーグルス・ナンバーで彼の歌声に馴染んできた。なにしろ、その来日公演もそうだったように、『イーグルス・ファースト』の幕開けは、「テイク・イット・イージー」、つまり、イーグルスとの出会いは、グレン・フライとの出会いそのものだった。
生まれ育ったのは、ミシガン州デトロイト。アメリカの自動車産業を支え、モータウン・レコードの本拠地としても知られる町だ。両親ともに自動車関連の工場で働き、その両親と、ラジオから流れるモータウン・サウンドに彼は育てられたという。そして、10代の、女の子へ興味がふくらみ始めた頃、彼の前にとんでもない存在が現れる。
ビートルズだ。1964年9月、15才のとき、ビートルズがオリンピア・スタジアムで行ったデトロイト公演に、叔母に連れられて行った。若い女の子たちが悲鳴に近い歓声をあげ、目の前で倒れ込んでいった。その光景に、彼の未来は決定づけられる。ロックスターになってスポットライトを浴びようと。
幾つかバンドに加わり、その過程で、ボブ・シーガーに目をかけられたのも大きかった。彼のもとでレコーディングの現場に入れてもらったり、バック・ボーカルで参加までさせてもらった。そう言えば、グレンの他界後、ボブ・シーガーは、『アイ・ニュー・ユー・ホエン』という追悼アルバムを発表し、最後に「グレン・ソング」という歌でしみじみと彼への思いをつづった。シーガーの人柄がしのばれる、心のこもったアルバムだった。
その後、夢を抱えてカリフォルニアのロサンゼルスへ。そこで、同郷のJ.D.サウザーと出会い、ロングブランチ/ペニーホイッスル の名で活動を始め、1969年、エイモス・レコードにはグループ名を冠したアルバムまで残した。ゴールデン・ベアやアッシュ・グローブなどのクラブに出演し、トルバドールに出入りしているうちに、もう一人、重要な若者と出会う。ジャクソン・ブラウンだ。
ジャクソンの勧めで、グレンとJ.D.は、エコーパークの彼のアパートへ。それからは、地下の部屋からジャクソンが奏でるピアノの音色と、まだ曲になっていない言葉とメロディーの断片が聞こえてくる毎日が始まった。ジャクソンとの共作「テイク・イット・イージー」は、名もないその青春時代の、掛け替えのない 証でもあった。
J.D.サウザーにジャクソン・ブラウン、そうやって、1970年前後のロサンゼルス、殊にトルバドール周辺では、無名だが才気あふれる若者たちがたむろしていた。グレンと同じようにテキサスの田舎町からやってきたドン・ヘンリーも、その一人で、彼のバンド、シャイロがグレンと同じエイモス・レコードからアルバムを出していたこともあって、二人の間に友情が生まれるには時間はかからなかった。
1971年、歌が歌えるミュージシャンをということで声がかかり、そのドン・ヘンリーを誘って、リンダ・ロンシュタットのツアー・バンドに。それを機に、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンを加え、1970年代のカリフォルニアの風景を決定づけるイーグルスが誕生する。この時期、他にも沢山の物語が生まれるが、その中でも神話となりうる最も印象深い物語となっていく。
『ロングブランチ/ペニーホイッスル 』のアルバムに、J.D.サウザーのサインをもらったのはいつだっただろう。もちろん、その時には、グレン・フライは存命で、亡くなるとは思ってもいなかった。或る日、気がついたのだけど、J.D.サウザーは、ちゃんとグレン・フライの場所を空けてサインしてくれていたのだ。だけど、その場所が永遠に埋まることはないのだと思うと、改めて、そしてしみじみと淋しくなってくる。
≪著者略歴≫
天辰保文(あまたつ・やすふみ):音楽評論家。音楽雑誌の編集を経て、ロックを中心に評論活動を行っている。北海道新聞、毎日新聞他、雑誌、webマガジン等々に寄稿、著書に『ゴールド・ラッシュのあとで』、『音が聞こえる』、『スーパースターの時代』等がある。
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