2017年06月16日
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2017年06月16日
67年はサンフランシスコに端を発したヒッピー、サイケデリックの流れが全米、世界各地へと波及し、言わば頂点を極めた年だった。
象徴的だったのは、67年の幕開けを飾った伝説のフリー・コンサート『HUMAN BE-IN』だろう(於:ゴールデンゲイト・パーク、1月14日)。後に“(The Beginning Of)Summer Of Love”として語り継がれるのだが、このコンサートはアレン・ギンズバーグ、ゲイリー・スナイダー、マイケル・マクルーアらのビート詩人たち、更にはグレイトフル・デッド、ジェファスン・エアプレン、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、モビー・グレープ、スティーヴ・ミラー・バンド、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュらが出演し、平和を求めるヒッピー、学生たち2万人が集まっている(当時としては記録的動員)。
この勢いを受け継いだ形となったのが、シスコ郊外で行われた『モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァル』(6月16日~18日)だった。が、自然発生的なフリー・コンサートだった『HUMAN BE-IN』とは、性格がかなり異なる。プロデュースを手掛けたのがルー・アドラー(ダンヒル・レコードの設立者、後に“Ode”レーベルを立ち上げてもいる)とママス&パパスのジョン・フィリップスとあって、多分に業界寄り。当時人気ポップ・グループだったママス&パパスのイメージアップに利用しようという目論みは明らかだったし、アソシエーションやスコット・マッケンジー、ジョニー・リヴァースなど、ロスのポップス系アーティストの出演が多かったのもそんな理由からだったのかも知れない。
が、そんな一面があったにせよ、ライヴ・イヴェント自体は素晴らしいものだった。オーティス・レディング、ラヴィ・シャンカール、ブッカーT&MG’s、ザ・フー、エリック・バードン&ジ・アニマルズ、ジミ・ヘンドリックスと、人種、国境を超えた多彩な顔触れの出演アーティストが当時の自由な気風を物語る。またサンタナを一躍スターにしたウッドストックがそうだったように、モンタレーもこのフェス出演を契機に一躍全米、いやワールド・ワイドにその名を轟かせるようになったアーティストを輩出している。一人は爆音ギターと、ギターに火を点ける過激なパフォーマンスで観客の度肝を抜いたジミヘン。そしてもう一人は言うまでもなくジャニス・ジョプリンだ。今はDVDが発売されているので簡単に観ることが出来るが、最初に観たのはビデオ化される前のTV放映だったような気がする。その映像で目にした「ボールとチェーン」の思わず身震いするような激唱は、強烈な体験として脳裏に焼きついて離れない。心の深奥からこみ上げてくる感情をふり絞るように全身全霊を込めて歌い上げた“魂歌”。ジャニスの歌は、受け止める側にもそれ相応の生半可ではないエネルギーが要求される、そんな歌だと痛感させられたものだった。
資料提供:増渕英紀
結局、モンタレー・ポップ・フェスには3日間で延べ32アーティストが出演、約20万人近くの動員を記録した。その中から20アーティストをピックアップし、4枚のCDに収録したものが『モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティバル』。また、CDには収録されていないが、このフェスの模様を歌った「モンタレー」をヒットさせたエリック・バードン&ジ・アニマルズのヴァージョンも是非!! 今思えば、ウッドストックの成功を契機にロックのビジネス化が一気に加速するわけで、その前夜のピュアーな一瞬の輝き、それがモンタレーであったような、そんな気もする。
≪著者略歴≫
増渕英紀(ますぶち・ひでき):音楽評論家、コラムニスト。東京都出身。メジャーには目もくれず、ひたすら日本では過少評価されているマイナーな存在の海外アーティストや民族音楽、日本のアンダーグラウンド・シーンやインディー系のアーティストにスポットを当てて来た。
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