2016年12月06日

本日はロイ・オービソンの命日。大滝詠一が愛してやまなかったそのベルベット・ボイス

執筆者:木村ユタカ

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1965年生まれの僕がはじめてロイ・オービソンの存在を知ったのは、高校一年だった82年の冬休みに聴いた大滝詠一さんのラジオ番組『ゴー!ゴー!ナイアガラ』でのこと。曲は、ヴェルヴェッツというドゥーワップ・グループでヒットした「愛しのラナ」だった。その番組で、大瀧さんが監修したオービソンの日本編集ベスト・アルバムが出ていることも知り、後日、レコード屋でそのLP(第1集と第2集)を見つけて購入。そのアルバムには、「クライング」「ブルー・バイユー」「ミーン・ウーマン・ブルース」「オー・プリティ・ウーマン」といった主要ヒットがすべて網羅されていたので、初心者には非常にありがたい内容であった。


60年代に活躍したロッカ・バラード・シンガー……その時点での僕のなかの位置づけは、そんな感じだったと思う。つまり、ほかのオールディーズ系アーティスト同様、ロイ・オービソンも過去の人だと思っていたわけだ。


だからこそ、88年に結成された覆面バンド、トラヴェリング・ウィルベリーズのメンバーに、ジョージ・ハリスン、ジェフ・リン、ボブ・ディラン、トム・ペティというロック界のビッグ・ネームとともにオービソンが名を連ねていたのは、ちょっとした驚きであると同時に、とても嬉しいトピックだった。そのアルバム『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.1』は大ヒットを記録。シングル・カットされた「ハンドル・ウィズ・ケア」のプロモーション・ビデオで元気に歌うオービソンを観て、82年に買ったベスト・アルバムを久々に棚の奥から取り出してきて、改めて彼の魅力を再確認したものだ。


80年代も後半の時期に、再びシーンの最前線へと浮上しつつあったロイ・オービソン。ところが、運命のいたずらが待っていた。僕を含め、多くのファンがその復活劇を歓迎しようと待ち構えていた矢先の88年12月6日、ナッシュヴィル郊外にある母親宅で倒れて病院に搬送された彼は、心臓発作のために急逝してしまう。享年52だった。


この悲劇が起きたとき、オービソンはすでにニュー・アルバムの制作を終えていた。翌89年になってリリースされた『ミステリー・ガール』は、トラヴェリング・ウィルベリーズで一緒だったジェフ・リンがプロデュースを担当した素晴らしい内容で、彼が元気だったら、これ以上ない復活作になっていたことだろうが、残念ながら遺作となってしまった。それでも、ここからシングル・カットされた「ユー・ゴット・イット」は、64年の「オー・プリティ・ウーマン」以来、実に25年ぶりの全米トップ10ヒットを記録。天国のオービソンも、さぞや喜んだことだろう。


その後も、大ヒット映画『プリティ・ウーマン』(90年)の主題歌に使用された「オー・プリティ・ウーマン」がリバイバル・ヒットするなど、世代を越えてオービソンのベルベット・ボイスは親しまれ続けている。


リスナーのみならず、多くのミュージシャンにも愛されたロイ・オービソン。そのロックンロール殿堂入りを祝う87年の式典でブルース・スプリングスティーンが残した言葉で本稿を締めくくろう。ロック・ファンの間で結構有名ではあるものの、オービソンの素晴らしさを讃えたコメントとして、これ以上のものは無いと思うから。


“アルバム『明日なき暴走』でスタジオ入りするとき、ディランのような言葉とフィル・スペクターのようなサウンドを目指した。そして、何よりもロイ・オービソンのように歌いたかった。しかし、皆、誰も彼のようには歌えないことを知っているんだ”


≪著者略歴≫

木村ユタカ(きむら・ゆたか):音楽ライター。レコード店のバイヤーを経てフリーに。オールディーズ・ポップスを中心に、音楽誌やCDのライナーに寄稿。著書に『ジャパニーズ・シティ・ポップ』『ナイアガラに愛をこめて』『俺たちの1000枚』など。ブログ「木村ユタカのOldies日和」もマイペース更新中。

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