2016年12月22日

12月22日は3大パンク・バンドのひとつ、クラッシュのジョー・ストラマーの命日

執筆者:東ひさゆき

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クラッシュはかつてセックス・ピストルズ、ストラングラーズと並ぶ3大パンク・バンドのひとつと称されていた。確かに彼らの「白い暴動」(77年/英・第38位)やセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」(76年/英・第38位)などはパンク・ブームの発火点といった印象がある。また、「ガレージランド」で“俺たちゃガレージ・バンド”と歌っているように、彼らはガレージ・ロックの傑作である、ボビー・フラー・フォーの「アイ・フォート・ザ・ロウ」(66年/米・第9位)を79年にカヴァー(88年に英・第29位を記録)。ガレージ・ロックがパンク・ロックの原点のひとつであることを再認識させた(この曲のオリジナルはクリケッツ)。ただ、クラッシュはアルバムごとに進化・成長し、多彩な音楽性を有していたというイメージが強く、特に3作目の2枚組『ロンドン・コーリング』(79年/英・第9位)はパンク・ロックの枠にとどまらない傑作と言ってもいいだろう。


ジョー・ストラマーはそうしたクラッシュの軸になった男だ。本名、ジョン・グレアム・メラー。下級外交官の息子だったこともあり、1952年8月21日、トルコの首都、アンカラに生まれている(両親はイギリス人)。トルコ生まれというと、アトランティックの創設者のアーメット・アーティガンや、同じくアトランティックに所属していたプロデューサー/アレンジャーのアリフ・マーディンが有名だが、ジョーはやがてロンドンのアート・スクールに通うようになる。早くから50年代のロックン・ロールやブルースを聴いたり、ギターを弾いたりして、R&B系バンドのヴァルチャーズや101ersで活動。76年にロンドンSSのミック・ジョーンズと出会ったことでクラッシュが誕生する。


クラッシュでは前述のように中心人物としてミックとともにレパートリーの多くを作曲したり、国内外で逮捕されたりと非常に目立つ存在だった。クラッシュは85年末に解散するが、86年にソロ・シングル「ラヴ・キルズ」(英・第69位)を発表。最初のソロ・アルバムは89年の『アースクウェイク・ウェザー』(英・第58位)まで待たなければならなかったが、その間にはボブ・ディランをサポートしたり、ポーグスと関わったり、映画「ストレート・トゥ・ヘル」(87年)に出演したり、サントラの『ウォーカー』(88年)を手掛けたりする。映画と言えば、親交のあった俳優のマット・ディロンは彼を「音楽的には軍隊のない兵士のようだった」と述べている。


惜しくもクラッシュ解散後は以前ほどの活躍はできなかったが、2002年12月22日に心不全で亡くなったという報道には驚かされた。中年期とは言え、まだ50歳だった。結局、他界後に発表されたジョー・ストラマー&ザ・メスカレロス名義の『ストリートコア』(03年/英・第50位)が最後のアルバムとなり、生前にジョニー・キャッシュをサポートしていたことで04年度グラミー賞の最優秀ポップ・ヴォーカル・コラボレーションにノミネートされる。また、07年の命日には地元ロンドンではなく、アメリカのロサンゼルスで彼およびクラッシュのトリビュート・コンサートが催されている。

【注】順位の前の“米”はアメリカ、“英”はイギリスを意味します。


≪著者略歴≫

1953年4月14日、神奈川県鎌倉市生まれ。法政大学経済学部卒。音楽雑誌「ミュージック・ライフ」、「ジャム」などの編集記者を経て、81年よりフリーランスのライターに。おもな著書に「グラミー賞」(共同通信)など。

白い暴動 ザ・クラッシュ

ロンドン・コーリング(紙ジャケット仕様)  ザ・クラッシュ

ロンドン・コーリング ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー コレクターズBOX (初回限定生産) [DVD]ミック・ジョーンズ (出演), スティーヴ・ブシェミ (出演), ジュリアン・テンプル (監督)

ウォーカー ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロス

ストリートコア ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロス

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