2016年12月23日
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2016年12月23日
1978年12月23日は六本木S-KENスタジオで東京ロッカーズ「クリスマス・ギグ」が開催された日である。
今思い返してみると、“TOKYO ROCKERS”は波乱万丈な我が1970代のゴールのような気がする。71年、作曲者としてポーランドの音楽祭に参加したのを皮切りに世界を放浪後、海外特派員としてロサンゼルス、ニューヨークと移り住み“TOKYO ROCKERS”の発端になったマンハッタンは最下層地区、バワリーのCBGBというライブハウスにたどり着く。
当時まだ“PUNK”という名前はなくニューヨークストリートロックなどと呼ぶ人もいたが、新しい感性や世界観をもったリチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズ、パティ・スミス、ブロンディ、トーキング・ヘッズ、ウェイン・カウンティ&ザ・エレクトリック・チェアーズ、ミンクデヴィル、スーサイドといったROCKERたちが、このCBGBやマックス・カンザス・シティといったライヴハウスに群がっていると感じて入り浸り、すぐにレポートを日本に送った。
そのレポートを読んでウエストサイド76丁目に突然訪ねてきたのが、“TOKYO ROCKERS”で一緒に行動することになるフリクションのレックで、この出会いがなけば、“TOKYO ROCKERS”はこの世に存在しなったといっていい。
帰国後、新しい時代の空気が増幅してきているように感じ、バンドを作り拠点を作り精力的に動き出したが、まわりに同じような感性をもったアーントサリー、不正療法、HI-ANXIETY、プラスチックス、自殺、ノイズ、フレッシュ、ヒカシュー、Mr. カイト、ザ・スタークラブ、ミラーズ、81/2、サイズ、P-MODEL、リザード、マリア023 、突然段ボール、BOYS BOYS といったミュージシャンが、大群のように浮上してきたのには驚かされた。
70年代、マンハッタンのバワリーで新しい感性が生まれていると感じた同時期前後して、ボブマーリーを筆頭にレゲエ台風がアメリカに上陸し、同じニューヨークの最悪危険荒廃地区、サウスブロンクスでは20才前後のDJクール・ハーク、アフリカ・バンバータ、グランドマスター・フラッシュの三人がヒップホップの種をまき、シカゴではフランキー・ナックルズなどのハウスが、デトロイトではホアン・アトキンス、デリック・メイなどのテクノが起こっているというように、同時多発的に浮上した“路上の美学が”80年代に入って時代に大きな切れ目を入れることになる。
その後の音楽的影響といえば、“TOKYO ROCKERS”より80年代後半にJAGATARAやMUTE BEATとともに関わりあった“TOKYO SOY SOUCE”というクラブイベントの方が上記の“路上の美学”を消化したよりエポックな出来事だと思っている。
≪著者略歴≫
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90年初頭からプロデュースに専念してきたs-kenが、25年ぶりに7枚目のアルバムを完成させた。前12曲、プロデュース、ヴォーカル、作詞、作曲、基本アレンジを担当。年を重ね、今まさに年老いていく波乱万丈なドラマと、s-kenの音楽ルーツというべきニューオリンズファンク、R&B、スカ、ブガルー、NYパンク、ヒップホップ、ルンバロック、ヌーベルシャンソンなどを選り抜きのHipなサウンドエッセンスをブレンドした、古今東西前例のない作品に仕上がった。
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