2018年05月10日
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2018年05月10日
シド・ヴィシャスはパンクの象徴のセックス・ピストルズの二代目ベーシストで、たった数年の音楽活動の間に無数の伝説を残した。すべてにおいてパンクを極め、パンクを全うした。存在自体が問答無用にパンクだった。本日、5月10日はシド・ヴィシャスの誕生日である。
ライダーズのレザー・ジャケットとスパイキー・ヘアー、破いたジーンズのヴィジュアルはパンク・ファッションの主流になった。ヒトラーに心酔していたわけではなかったにかかわらずナチスの逆さカギ十字のシンボルのTシャツも愛用していたが、誰が何と言おうが知ったこっちゃない波紋を投げかける挑発的アティテュードは、やはりパンクである。
周りの人間は異口同音に、本性がお茶目で繊細にもかかわらずシドが“ワル”を演じていたと言う。役者は自分と同じキャラと違うキャラの両方を演じるものだが、シドは前者に近かった。もともと大ファンのセックス・ピストルズのために奮闘すべく、1978年の3月に加入してバンドが授けてくれたファミリー・ネームの“VICIOUS”のキャラを死に物狂いでシドは演じ、破壊的で破滅的なライフ・スタイルとステージングを推し進めていく。
シドは父親の顔を知らず、ロンドンの下町で生まれるも放浪癖のあるジャンキーの母親に連れられてあちこちを転々とし、ドラッグを打つ母親の姿を見ながら育った。ヤク中になるのに時間が掛からなかったのも自然と言えるが、バンド活動に燃えつつドラッグと愛に飢えていたシドの炎にガソリンを注いだのが、アメリカの有名なグルーピーでジャンキーのナンシー・スパンゲン。セックス・ピストルズに加入してまもなくナンシーはシドを恋人にし、危険なドラッグと過保護で過激な愛を惜しみなく提供。童貞説も飛び出すほど奥手で純情なシドはナンシーにハマっていく。
1978年1月のアメリカ・ツアー直後にジョニー・ロットン(vo)が抜けてからセックス・ピストルズはフェイド・アウトし、シドは8月からニューヨークでナンシーと暮らし始めた。その翌月にシドはヴォーカリストとしてニューヨークのステージに立って本格的にソロ活動を始めるも、同居していた部屋の浴室で10月に血まみれのナンシーの死体が発見される。シドは殺人容疑で収監されたが、「赤信号を知らず常に青信号の男」とシドを評したセックス・ピストルズの元マネージャーのマルコム・マクラーレンの尽力で保釈となる。
だがナンシーのコントロールがなくなったシドは暴行事件を繰り返し、同年12月に再び収監。1979年の2月に保釈され、“出所祝い”の小パーティの場で友人のカメラマン持参の純度の高いヘロインをシドは吸引する。同席していた母親も止めなかったらしいが、翌2月2日に息を引き取ったシドが発見された。
死の10ヶ月後、パンクの血の気に溢れるヴォーカリストにシドが徹した唯一のソロ・アルバム『シド・シングス』が発売される。カヴァーのみでライヴ中心の作品だが、ジョニー・サンダースやストゥージズ、エディ・コクランらの曲の中で、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」が光る。シドらしい加速度に貫かれた替え歌で、最期に向かったラスト・スパートの決意と覚悟の歌に聴こえる。
セックス・ピストルズ時代のシドのベースの演奏力はイマイチで、1977年の10月に出たセックス・ピストルズの唯一のオリジナル・アルバム『勝手にしやがれ!!』でも、1曲しか弾いてない。だが、『勝手にしやがれ!!』でシドが曲作りに参加した「さらばベルリンの陽」「ボディーズ」は、明らかに他の曲より加速している。シドもそれを自負していた。
生き急いだと言うのはカッコ良すぎだが、自己破滅型ロッカーの中でもシドほど速く、早かった人はほとんどいない。享年21才。
≪著者略歴≫
行川和彦(なめかわ・かずひこ):Hard as a Rockを座右の銘とする1963年生まれの音楽文士&パンクの弁護人。『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)、『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)、『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)を発表。
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