2017年05月08日

知名のタンパニスト、カジヒデキのミニ・ストーリー(カジくん、お誕生日おめでとう!)

執筆者:牧村憲一

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カジくんからブリッジの再結成ライブがあるかもしれないと聞いたのは、2016年秋も深くなった頃でした。


昨年7月27日、東京近郊で開催されたコーネリアスの公開ゲネプロは、2008年以来のコーネリアス名義としてのライブであり、会場は100名を超す関係者で埋まっていました。観客の中には帽子と短パン姿のカジくん、加えて大勢の懐かしい人たちの顔がありました。


ゲネプロ終了後の久しぶりの歓談の中で、カジくんはぺニーアーケードの再結成を知ることになります。それが契機となって、かつてベーシストとして参加していたグループ、ブリッジの22年ぶりの再結成が浮上したのです。果たして長期の空白は埋められるのか、その実現への調整が始まりました。そしてカジくん言うところの「88年〜89年のジャパニーズ・ネオアコ・シーン再びなフィーバー」が実現したのです。


2017年2月25日下北沢QUE のペニーアーケードのライブに、ブリッジはシークレットで友情出演しました。そこで4月9日原宿アストロホールのたった一度の正式な再結成ライブが発表されたのです。


僕がブリッジを初めて観たのは1990年の夏、ライブハウスのクロコダイルでした。彼らの演奏に、ロリポップ・ソニック(デビュー時にフリッパーズ・ギターと改名)を知った時と同じ驚きを感じました。同年12月ブリッジは、フリッパーズ・ギターの企画した日英同時進行コンピレーション・アルバム『FAB GEAR』へ参加。1992年には、ポリスター内に設立されたTRATTORIAレーベルからデビュー。ブリッジを招き、ファースト・アルバムのプロデュースを担当したのはレーベル主宰者の小山田(圭吾)くんでした。


かつて渋谷には地表を流れる川がありました。現在半分は暗渠となり地下を流れています。その川にそって生まれたのがシブヤ独特のカルチャーでした。キャットストリートもその一つです。ブリッジがアルバム・デビューした1993年ごろから勢いづいたのが”渋谷系”と呼ばれる時代の流れ、目に見えない一本の暗渠の川の流れでした。その川は見る見るうちに増水し氾濫しました。しかし、長続きはしませんでした。元の穏やかな流れに戻ったのが1996年ごろです。そしてその年にソロ活動へと舵を切ったのが、カジくんでした。彼のいたブリッジは、既に前年解散していました。


ソロ・デビューという課題を前に、1年近くカジくんとスタッフは悩み続けていました。しかし思いがけないところからチャンスが訪れました。「マスカット」NTTドコモ・ポケベルCFソング、「ラ・ブーム~だってマイ・ブーム・イズ・ミ-」キューピーハーフCFソングのCMタイアップ。こうして立て続けにヒット曲が生まれました。
ドコモ・ポケベルのタイアップ曲について、当時カジくんはこう語っています。「思ってもいなかったので、すごくうれしいです。あの曲は広末涼子さんのイメージで書きました。元気が良くてミニスカートの感じですね。"爽やかな疾走感  "とも言えるかな。スタッフからはビートルズっぽくと言われたのでそれにゾンビーズみたいな感じを自分の解釈で加えました」。


ビートルズにゾンビーズを加えて、まさにムッシュかまやつさん級のアイデアですね。どこからそんな知識を得ていたのでしょう。それを探るためにカジくんの音楽歴を調べてみました。


小学生の時は野球、ザ・ベストテン、全米トップ40に夢中、中学生になると、大滝詠一、シュガー・ベイブ、矢野顕子、イエロー・マジック・オーケストラ、加えて黄金の時代と呼ぶところの、キャップから靴下までも全身まっ黄色に統一したファッションに凝ったそうです。高校生になると、自ら暗黒の時代と呼ぶニュー・ウェーヴ、アフターパンク時代へと突入、ロンドン・ファッションにあこがれ、ハード・コア 、ポジティプ・パンク、ゴスへと傾倒したそうです。高校卒業後は予備校、美術専門学校、映像の学校、さらには宝石の学校へと、このスピードというか、あまりにも目まぐるしく変化のすべては書けません。


しかし、カジくんの音楽人生にとって決定的なことが起こりました。1987年11月、2人組のライブを観たことです。それは小山田くんと井上由紀子さんの、PEE WEE 60'sからロリポップ・ソニックと名乗り始めたばかりのライブでした。自分の求めていたもの、これまでの数々の音楽体験を凝縮し発展できるものに出会えたと。まだまだゴスが抜けずアイライナーとか眉毛を書いたり必ず化粧はしていたままだったそうですが、実にカジくんらしい。


ヒット曲が続きスウェーデンとの行き来も盛んになったころのカジくんと、会社で立ち話をしたことがあります。話しは大滝詠一さんのロンバケからビーチ・ボーイズへ、シュガー・ベイブからブライアン・ウイルソンへとあちこちにとび、その時1曲一緒に創ろうよと言いながら、ついに実現しませんでした。
でもそれ以上のことが実現したのです。2016年秋も深くなった頃、カジくんから一通のメールが届きました。


「牧村さんにお知らせしたい事があり、メールさせて頂きました。来年、2回だけBRIDGEの再結成ライブをする事になりました。(後略)」
2回ではおさまりませんでした。カジくんとブリッジの冒険は夏まで続くのです。


今年も千葉で『ピーナッツキャンプ』 第一弾アーティスト発表! カジヒデキ、bridge、コトリンゴ、小西康陽、曽我部恵一、チャットモンチー、Nulbarich、never young beach、松田chabe岳二、吉澤嘉代子 



≪著者略歴≫
牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『未来型サバイバル音楽論』(中公新書ラクレ、津田大介との共著)がある。
SPRING HILL FAIR William Bridges BRIDGE

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