2017年08月11日

本日が誕生日 黒沢健一49歳はRock’n Rollそのもの

執筆者:牧村憲一

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2012年12月、ステージにはただ独り黒沢健一がいた。健一はギターの弾き語りで再び歌い始めた。

『沢山のことを望みすぎて 帰り道をなくしてしまった』。その歌が僕をあの始まりの日々へと戻した。


1991年夏の来る前だっただろうか、意外な来訪客があった。知り合ってはいたが、一緒に仕事をしたと言えば大貫妙子のライブでドラムを叩いてもらったくらいだった。

岡井大二は語り始めた。『ラギーズ』というバンドとの出会い、ソングライター・チームの黒沢兄弟がいかに素晴らしい曲と歌を持っているかを、日本のポップスの未来を担えるはずと力説した。一度会ってもらえさえすれば、絶対わかってもらえるはずと繰り返したのだ。


しかし当時僕は、新しいグループを受け入れるだけの余裕を持っていなかった。その年はフリッパーズ・ギターがフル活動していたし、サラヴァレーベルも忙しくなっていた。しかし。 カセット・テープの「想像の産物」を聴いてしまったことが、すべての始まりになってしまった。その曲は飛び抜けていた。健一の歌も完璧だった。 ずっと探し続けていた曲と声に、思いがけずに出会ってしまう、そういうことが10年に一度くらい起こる。まさにそれだった。


 程なく岡井大二は僕からの2つの提案を解決し現れた。『ラギーズ』の新グループ名をL⇔Rに、新規に設立するレーベル名をWITSにしたいと言った。それで僕はやるしかなくなった。 いやむしろ望んでいたのだと思う。

ベースに木下裕晴を加えた新生L⇔Rのミニアルバム『L』のレコーディングは順調に滑り出し、岡井大二を軸にした制作チームは機能し始めていた。ただ一点問題が生じたのは、アート・ディレクションだった。プロダクションのすべてを援助し見守ることが役割だと思っていたが、これ以後アート・ワークは僕が責任を持つことにした。コーラスで参加した嶺川貴子が正式にメンバーに加わり、それもあって人気は上昇していった。


メインライターの健一の曲は、ポップスとしてのすべてを備えていたが、僕は彼の実験性を抱合した曲に強く惹かれていた。それがL⇔R であることの証だと思っていた。

レコーディングの候補曲の中に『ノースタウン・クリスマス』があった。周りにいたスタッフはクリスマス・ソングの定番になると大きな期待をした。しかしこの曲は良すぎたと言うか、健一の持つ良い意味での実験性、裏切りがなかった。

レコーディングの終盤、岡井大二から相談があるので至急会いたいという連絡がきた。ミックスされた『ノースタウン・クリスマス』は凡庸な曲に聴こえた。健一の歌だけが目立つ。最大の長所が短所となっていると僕は言った。 岡井大二にどうしましょうと尋ねられ、この曲のデモを聴いた時に聴こえてきたコーラス・ワークがあるんだと、スパンキー&アワ・ギャングを引き合いに出して応えた。そして『ノースタウン・クリスマス』はポップなプログレな曲として完成した。


 3年目。レコード会社移籍の話が起こった。僕も会社も真剣に引き止めたが、メンバーを代表して話し合いの席に着いた健一は、ただお願いしますとしか言わなかった。メンバーの行く末、事務所の事情などを背負っていた。痛いほど気持ちはわかった。僕は移籍を承知した。移籍先は先輩亀渕昭信氏のいるポニー・キャニオンに決まった。


レコード会社移籍の決まった最後のレコーディングで、健一の書いたメロディーが僕に渡された。好きなテーマで遠慮なく書いて欲しいと言われた。それまでいくつかL⇔R名義で詞を書いていたが、仮装をしての詞だった。

歌入れまで僅か2日間しかなかった。 テーマは「Equiknox」に決めた。

別れの歌であり、始まりの歌になるように。そして健一も好きだった70年代のレーベル名でもあった。

書きあげた詞は、メロディーを超える文字数になってしまったが、書き直す時間はもうなかった。既にヴォーカル入れの時間がせまっていたのだ。


スタジオに入って初めて見た詞を、健一はメロディーと合わせはじめた。いくつかの言葉を削った後、試しに歌ってみることにした。遠山裕のピアノ演奏と共に最後まで歌い切ってしまった。それ以上やる必要のない出来だった。後で知ったことだが健一はその日、喉を痛めていたのだ。まったく気づかなかった。

健一の歌を得て、詞は音楽になった。歌がすべてを引き受けた。


あれから黒沢健一は、沢山のことを背負っていくことになったのだと思う。音楽が大好きで、音楽の才能に恵まれ、でも音楽に疲れ、そしてまた音楽を取り戻した。2012年のあの日、僕はこう伝えた。「Rock’n Rollが還ってきたね!」。


健一くん、49歳のお誕生日おめでとう。君が歌い続けていることは、もちろん知ってるよ。君が旅に出てすぐ、ずっと書けなかった『Equiknox』の3番が出来たんだ。 いつか目の前で歌って欲しいな。


♪『曇り空の向こう 光溢れ 柔らかな日々 繰り返す想いは

君はそこに座り 終わらない夏を 歌い続ける

また逢えるはず 聴こえているよ


行き違う人々は 気づかない

長く遥か続く道 ひとりきりでも くじけないように

夢を選んだ』 ♪


(文中、敬称を略させていただきました。)


≪著者略歴≫

牧村憲一(まきむら・けんいち):1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、加藤和彦、大貫妙子、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。InterFM897『music is music』レギュラー出演中。著書に『「ヒットソング」の作りかた』(NHK出版)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版、藤井丈司、柴那典との共著)がある。

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