2016年02月29日

1952年2月29日、佐久間正英の誕生日。生きていれば64歳となる。

執筆者:武田昭彦

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1970年代、ロック・バンド四人囃子のベーシストとして、70年代終盤以降は日本を代表する作・編曲家/音楽プロデューサーとして活躍した佐久間正英は、1952年2月29日東京で生まれた。2014年1月、闘病生活を続けた後、惜しくも他界するまで、佐久間は音楽制作に果敢に取り組んでいた。


若い世代の才能を引き出すプロデューサーとしての手腕を発揮する前の佐久間の活動は、日本のロック創成期にまで遡ることになる。四人囃子ではベース、プラスチックスではキーボードといった異なる楽器で先進性に溢れた音楽活動を繰り広げた。一方ソロ・アーティストとしても、4枚のアルバムを制作・発表。それらの制作において、様々な楽器の音色と録音機材の親和性を探る過程で、音楽を一歩引いた視点で俯瞰することを学んでいったのではあるまいか。


79年にP-モデルのアルバム『イン・ア・モデル・ルーム』のプロデュースを手掛けて以降、BOØWY、ブルーハーツ、ジュディ・アンド・マリー、GLAY、エレファントカシマシといった日本を代表するバンドを次々に手掛け、この日本においてロック・サウンドを根付かせた。その功績は図り知れないほど大きい。


今から遡ること約15年前、当方は佐久間が拠点としていた都内のスタジオ兼事務所でBOØWYにまつわる話を聞く機会に恵まれた。ブレイク前のBOØWYのプロデュースを任された佐久間は、ドイツ・ベルリンにある伝説的なハンザトン・スタジオにメンバーを引き連れてレコーディングを敢行したのだ。ナチスの娯楽施設を改築し造られたハンザトンは、今年初めに他界したデヴィッド・ボウイが1976年~78年にかけて『ロウ』『ヒーローズ』『ステージ』といった所謂ベルリン3部作を制作した録音スタジオでもある。ハンザトンは、今も現存するレコーディング・スタジオだ。



BOØWYメンバーはスタジオ入りした初めの2日間はまだ手探り状態だったというが、3日目から俄然気の入り方に変化が表れ始めた。佐久間はベーシストの松井恒松にベースの弾き方の基本から教え込んだという。そうして完成に漕ぎ着けた作品が85年に発表されたアルバム『BOØWY』で、本作は彼等にとっても分岐点となった。まだベルリンに壁が聳え立っていた時代のエピソードになるが、BOØWYのメンバーがその伝説めいた環境でプレイすることで、彼等の音楽に対する姿勢はガラリと変わったと佐久間は語ってくれた。音楽を演奏するのは紛れもなくアーティストだが、それをプロの視点で見極めるのが音楽プロデューサーの役割となる。佐久間正英がいなければ、わが国の今日のヒット・チャートはまるで異なったものになっていたと思う。
in a garden~創造の庭で Original recording remastered 佐久間正英

佐久間正英

四人囃子

PLASTICS

P-MODEL

BOØWY

THE BLUE HEARTS

JUDY AND MARY

GLAY

エレファントカシマシ

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