2017年01月16日
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2017年01月16日
本日、1月16日は佐久間正英の命日である。2014年1月16日に急逝した。佐久間は1952年2月29日、東京生まれ、享年は61歳である。BOΦWY、STREET SLIDERS、THE BLUE HEARTS、黒夢、JUDY AND MARY、GLAY、くるり……など、数多くのロック・バンドを手がけてきた音楽プロデューサーである佐久間正英、日本の音楽界に多大の貢献をしてきた彼の死は大きく報道された。
2013年8月9日に自らの公式サイト、フェイスブックなどで末期のスキルス胃癌であることを公表。治療を続けながら「Last Days」と名付けた音楽プロジェクトに取り組んだ。同年12月13日、横浜のランドマークスタジオでレコーディング。メンバーに愛弟子の元JUDY ANDMARYのTAKUYA(Vo、G)、世界的ドラマーで、佐久間とはThe d.e.pというバンドを組んでいた屋敷豪太(Dr)、佐久間と親戚関係(生田の父親と佐久間は従兄弟同士)にある乃木坂46の生田絵梨花(P、Chor)、息子である佐久間音哉(Kb、Programming)を迎え、遺作となる「Last Days」を完成させている。
2013年12月25日深夜、NHK総合ではその音楽制作に密着したドキュメンタリー番組『ハロー・グッバイの日々~音楽プロデューサー佐久間正英の挑戦~』を放送。彼の死後には、同番組に時間の都合上カットされたインタビューや、プロデュースした楽曲に関わる貴重な映像を再構成、2014年4月11日に『そして音楽が残った~プロデューサー・佐久間正英“音と言葉”~』を追悼番組として放送している。布袋寅泰、YUKI、TAKURO(GLAY)、早川義夫、武部聡志などがコメントを出した。
その直前、2014年3月には、遺作である「Last Days」を含む、彼のプロデュース作品を収録した2枚組コンピレーション・アルバム『SAKUMA DROPS』がリリースされている。P-MODELやSKIN、PLASTICS などの初期のプロデュース作品からBOΦWY、GLAY、JUDY AND MARY、THE BLUE HEARTS、UP-BEAT、氷室京介、エレファント・カシマシなどの代表作、さらに遠藤賢司や早川義夫の作品まで、全34曲、選曲・監修は佐久間が行っている。同作に収録された曲名を見るだけでも彼がどれだけ、日本の音楽界に影響を与え、数多の名作を生み落としてきたかがわかるというもの。
その佐久間正英が音楽家として、最初に認識されたのはいうまでもなく、四人囃子のメンバーとしてである。日本のロックの創世記、“伝説のバンド”として、後々まで語られている。1974年6月25日にリリースしたファースト・アルバム『一触即発』は日本のロック史に残る不朽の名作として必ず、取り上げられているのだ。特にアルバムの表題曲は10分を超す大曲ながら一糸乱れぬアンサンブルと、その超絶技巧は、驚きをもって、受け入れられる(デビュー前、既にピンク・フロイドの「エコーズ」をいともたやすく演奏している!)。そのプログレッシブで、サイケデリック、それでいてレイドバック(森園のモットーは“楽が一番”! オールマン・ブラザーズ・バンドやグレイトフル・デッド、エリック・クラプトンなども愛聴)した音楽が多くの支持を得た。オリジナル・メンバーは、森園勝敏(G、Vo)、中村真一(B) 、岡井大二(Dr)、坂下秀実(Kb)。1975年2月、茂木由多加(Kb)が加入し、5人編成となる。同年5月、中村が脱退、彼に代わり、佐久間正英(B)が加入することになる。1975年9月、シングル「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ 」を発売後、茂木が脱退。元の4人編成になる。佐久間自身はメンバーとしてではなく、“トラ”(エキストラ)という感覚でいたようだ。そもそもバンド加入の経緯は、メンバーと元々、面識はあるものの、ミスタッチというバンドで、活動を共にしていた茂木が四人囃子に加入。その直後に、中村が脱退。彼の抜けた穴を埋めるため、急遽、呼ばれたという。
セカンド・アルバム『ゴールデン・ピクニック』(1976年5月1日)発売後、ギターを弾き、歌を歌い、作曲もする、アイドル(という表現が相応しいかわからないが、当時、彼は間違いなくギター・ヒーローとして、ロック・ファンからは脚光を浴びていた!)だった森園勝敏が脱退、佐藤満を新しいギタリスト、ボーカリストとして加える。佐久間は森園に代わり、バンドの中心的なメンバーとして役割を担うことになる。
佐藤満加入後、『PRINTED JELLY 』(77 年10月25日)、『包(BAO)』(1978年7月25日)、『NEO-N』(1979年11月25日)と、連続リリース。その音楽性は時代を反映して、クロスオーヴァー/フュージョン色、ポップ色、テクノ/ニューウェイヴ色を増していった。音楽性は変われど、四人囃子健在を印象付けたが、1979年、『NEO-N』リリース後、バンドは活動を休止する。
四人囃子というと『一触即発』が必ずあげられるが、佐藤満在籍時のアルバムも力作揃いである。そのコンサートも異色であった。『包(BAO)』発売時、78年7月29日の日比谷野外大音楽堂のライブではタイトルそのまま、日比谷野音の客席をアルミフォイルで、包んでしまった。梱包芸術、クリストなどの言葉や名前を四人囃子で初めて知ったというロック・ファンも多いはず。単なる音だけでなく、ジャケット・デザインや舞台美術など、様々なポップ・アートの意匠をこらしていたのだ。
佐久間は四人囃子と同時並行で、後にP-MODEL、ヒカシューとともに「テクノ御三家」として注目されるPLASTICSにキーボードとして参加。同バンドでは米国コンサートツアーも経験した。B-52'sと共演。後にラモーンズやトーキング・ヘッズなどとも共演している。1979年に英国のラフ・トレード・レコードから「Copy / Robot 」をリリース。アイランド・レコードと契約し、サード・アルバム『WELCOMEBACK PLASTICS』(1981年)は日英米独と、海外でも発売されることになる。
1979年の四人囃子活動休止後、1981年のPLASTICS解散後、佐久間はアレンジャー、プロデューサーとして活動。その活躍は前述通り。BOΦWYでの成功が契機となり、音楽業界の佐久間詣でが始まる。佐久間は、数々のロック・バンドの成功に貢献。レコード・プロデューサー(佐久間は自らをそう表している)として、数多くの名盤作りに関わる。
1979年に活動を休止(解散宣言はしていない!)した四人囃子は10年後の1989年7月に、リユニオン・アルバム 『DANCE』 (メンバーは佐久間・岡井・坂下) をリリースするとともに、同年9月22日・23日に東京・MZA有明で、リユニオン・ライブ(森園・佐藤も参加)開催。ライブの模様はCD 『FULL-HOUSE MATINEE』(1989年12月16日)、VIDEO/LD『フルハウス・マチネ(3+2の世界)四人囃子復活ライブ』(1989年12月16日)に記録された。
その後、散発的にイベントやフェスに四人囃子として出演。21世紀に入り、四人囃子は本格的に活動を再開。その皮切りは2001年8月、26年前にも出演した「ワンステップ・フェスティバル 2001」(“うつくしま未来博”の一環)に登場。その年の末には、約3年の構想と作業の期間を要したというCD5枚組の四人囃子 BOX SET 『From The Vaults』(同じくCD5枚組の四人囃子 BOX SETの第2弾である『From The Vaults2』は2008年にリリース)をリリース。新作はないものの、翌2002年からライブ活動を活発化。同年7月28日には「フジロック・フェスティバル’02」にも出演している。岡井、佐久間、坂下、森園を中心に活動。特にスモーキー・メディスソ(ご存知、CHARが在籍した伝説のバンド、スモーキー・メディスンの再結成だが、佐藤準が不参加のため、メディスソとしている)、頭脳警察、CREATION、プロコル・ハルムという“伝説のバンド”と共演する2003年から開始されたシリーズ・イベント「ROCK LEGENDS」が多くの注目を集めた。また、伝説に埋没することなく、新たな音楽との出会いを求め、「色彩探訪シリーズ」というライブを敢行。2008年7月10日にはフジファブリック(恵比寿LIQUIDROOM)、また、翌2009年の1月10日にはSOIL & "PIMP" SESSIONSと(SHIBUYA AX)と共演している。メンバー同士の共演(四人囃子+フジファブリック=“九人囃子”で、四人囃子のナンバーも演奏)を含むライブを行い、世代やジャンルを超越。現役バンドであることを印象付ける。2010年8月22日には、東京・日比谷野音で開催された「PROGRESSIVE ROCK FES 2010」へスティーブ・ハケット、ルネッサンスとともに出演した……と、書いていたら、切りがない。四人囃子の公式サイト「四人囃子Official Web Site」を参照いただきたい。
そして、いま現在、同サイトの「新着情報ページ」には四人囃子の作品集『四人囃子アンソロジー~錯~』が本年2017年1月25日(水)に発売されることが告知されている。
『四人囃子アンソロジー ~錯~ 』はバンドの歴史を振り返る、代表曲を網羅したアンソロジー的な作品集である。現在は入手困難なBOXセット『From the Vaults』(2001年)、『From the Vaults 2』(2008年)から音源を厳選し、最新リマスタリングの他、岡井大二が監修した「一触触発」、「おまつり(やっぱりおまつりのある街へ行ったら泣いてしまった)」の“alternate version”を初収録している。[STUDIO TAKES]と[LIVE TAKES]という2枚組CDに2008年のライブを中心に収録したDVDを加えた3枚組だ。DVDには「オレの犬」、「SAKUMA#1」、「Rumble」といった未発表曲も収録。さらに2002年10月のライブから収録された「眠い月(Nemui-Tsuki)」は初代ベーシストの中村真一と佐久間正英が初共演という貴重な映像である。
四人囃子は佐久間とともに、茂木由多加(2003年1月逝去)、中村真一(2011年5月逝去)も既に故人である。四人囃子の行く末はわからない。彼らの遺志を継いで、岡井や森園は再活動するかもしれないが、いまは四人囃子の復活を心待ちにしながら同作を聞くしかない。四人囃子は“プログレッシブ・ロック”(東芝EMI時代、ピンク・フロイドの『ATOM HEART MOTHER』を“原子心母”と名付け、日本におけるプログレ、洋楽ロックの普及・発展に貢献した名プロデューサー・石坂敬一の訃報が昨年末、2016年12月31日に飛び込んできた。改めて、ご冥福を祈らせていただく)と括られ、本作のタイトルの“錯”もピンク・フロイドの過去のアルバムの日本語タイトル(『炎』、『鬱』、『光』、『対』など)をイメージしているという。しかし、予断や偏見を取り払い、くぐもりのない耳で聞くと、プログレという様式には収まりきらない、実に多彩で多様な音楽性があることがわかる。むしろ、実験精神と革新性においては、真の意味で“プログレッシブ”と言っていいだろう。この機会に四人囃子という“音楽遺産”、遺産というには生々しい、現在進行形の伝説か――を体験していただきたい。新たな発見があるはずだ。
◆佐久間正英公式サイト「Masahide Sakuma record producer/musician/composer/arranger」
◆四人囃子公式サイト「四人囃子Official Web Site」
四人囃子アンソロジー(完全生産限定盤)(DVD付) CD+DVD, Limited Edition四人囃子
<収録リスト>
DISC1
DVD3…CS未放映曲 4,9,11…未発表曲
CD 1STUDIOTAKES
1 Mongoloid-Trek studio1978 一口坂studio Test Running Takes
2カーニバルがやってくるぞSt-LIVE1977.10/26 TFM「パイオニア・サウンド・アプローチ」studioLIVE
3ハレソラSt-LIVE 1977.10/26 TFM「パイオニア・サウンド・アプローチ」studioLIVE
4おまつり(やっぱりおまつりのある街に行ったら泣いてしまった) studio
alternate version
5なすのちゃわんやき studio1976 SONY studio
6昼下がりの熱い日St-LIVE1977.10/26 TFM「パイオニア・サウンド・アプローチ」studioLIVE
7 泳ぐなネッシーstudio1976 SONY studio
8眠たそうな朝にはstudio1978 Freedom studio Demo Tracks
9機械じかけのラムstudio1978 Freedom studio Demo Tracks
10 空飛ぶ円盤に弟が乗ったよstudioFull version
11Buen Diastudio 1974 demo track
12 一触即発studioalternate version
CD 2LIVETAKES
1Nocto-Vision For You LIVE1989.9/23 MZA有明
2機械じかけのラムLIVE 1989.9/23 MZA有明
3 空飛ぶ円盤に弟が乗ったよLIVE73 四人囃子 <Full Length version>
4一千の夜 LIVE1989.9/23 MZA有明
5おまつり(やっぱりおまつりのある街に行ったら泣いてしまった) LIVE1973.7/21 杉並公会堂
6 泳ぐなネッシー LIVE1973.8/21 俳優座
7 ピンポン玉の嘆き LIVE1973.7/21 杉並公会堂 <初演>
8Chaos LIVE 1989.9/23 MZA有明
9 一触即発 LIVE 1973.12/30 ヤクルトホール
10眠い月LIVE1989.9/23 MZA有明
DVD 四人囃子 2008 LIVE & MORE
1なすのちゃわんやき LIVEJCBホール 2008.4/19 CSイマジカTVOA
ROCK LEGEND '08
2空と雲 LIVE JCBホール 2008.4/19 CSイマジカTVOA
3 おまつり(やっぱりおまつりのある街に行ったら泣いてしまった) LIVE
JCBホール 2008.4/19 CSイマジカTVOA
4オレの犬LIVE JCBホール 2008.4/19 CSイマジカTVOA
5空飛ぶ円盤に弟が乗ったよLIVEJCBホール 2008.4/19 CSイマジカTVOA
6レディ・ヴァイオレッタ LIVEJCBホール 2008.4/19 CSイマジカTVOA
7カーニバルがやってくるぞ LIVEJCBホール 2008.4/19 CSイマジカTVOA
8泳ぐなネッシー LIVEJCBホール 2008.4/19 CSイマジカTVOA
9SAKUMA#1 LIVEJCBホール 2008.4/19 CSイマジカTVOA
10一触即発 LIVE JCBホール 2008.4/19 CSイマジカTVOA
11 Rumble LIVE 川崎CLUB CITTA 2003.11/1ROCK LEGEND Vol.3
12眠い月 LIVE 新宿厚生年金会館 2002.10/26ROCK LEGEND Vol.2
≪著者略歴≫
市川清師(いちかわ・きよし):『MUSIC STEADY』元編集長。日本のロック・ポップスに30年以上関わる。同編集長を退任後は、音楽のみならず、社会、政治、芸能、風俗、グラビアなど、幅広く活躍。共著、編集に音楽系では『日本ロック大系』(白夜書房)、『エンゼル・ウィズ・スカーフェイス 森山達也 from THE MODS』(JICC)、『MOSTLYMOTOHARU』(ストレンジデイズ)、『風のようにうたが流れていた 小田和正私的音楽史』(宝島社)、『佐野元春 SOUND&VISION1980-2010』(ユーキャン)など。近年、ブログ「Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !」で、『MUSIC STEADY』を再現している。
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