2017年08月13日
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2017年08月13日
古くはレコードやカセット、80年代半ば以降からはCDなどパッケージ化された音楽ソフトが主体だった時代から、配信やストリーミングなどによる音楽ファイル主体の時代へと音楽作品鑑賞の手段の激変によって、CDセールス不振に意気消沈な昨今の音楽業界だが、アーティストのコンサートなど実演の場はけっこう景気が良いなんて話を耳にする(まぁ、ビッグネームに限られるのだろうけど)。今や絶滅貴種状態のCDショップに代わる音楽ソフトの販売チャンネルとしても、ライヴ会場での即売が以前よりも重要な役割を担っているのは間違いないだろう。
ミュージシャンのライヴ会場即売において、ひと昔前はCDが主力商品だったが、現在はTシャツや様々なグッズなど所謂アーティストのキャラクター商品の売り上げが伸びており、会場で即売開始後、短時間で完売するというケースも珍しくない。この現象はライヴハウスを中心に活動しているようなインディーズ系バンドも例外では無く、今やグッズ販売は彼らの重要な資金源となっているのである。CDをTシャツ等とセットにして販売しているバンドも多く、こうなるとどちらがメイン商品なのかわからなくなってくる。
いずれにせよ、CDの価値・存在感が悲しいほどに軽くなっている現実があるわけで、CDを選挙投票券変わりにしたAKB商法に至っては、NHK朝ドラ『ひよっこ』でも描かれていた、ビートルズ来日公演のチケットをエサに歯磨きを買わせた後援スポンサー企業の手口を連想させるが、もはや音楽ソフトは歯磨きの空き箱程度の価値しかないのだろうか…。
ビートルズ来日公演の会場である日本武道館でレコード即売があったのかどうかは知る由も無いが、英国オリジナル・アルバムの『Please Please Me』『With The Beatles』を、それぞれ曲順とジャケットを替え、来日記念盤と銘打って『ステレオ!これがビートルズVol.1』『ステレオ!これがビートルズVol.2』のタイトルで、公演の1カ月前である66年5月25日にリリースされている(各\1,800)。
また、これも会場で販売されていたかは知らないが、来日前からビートルズの様々なキャラクター・グッズが市場に出回っていた。当時の資料によると、カツラ(\15,000)、水着(\2,800)、ランチ・ボックス&ポット(\1,850)、ブラウス(\1,500)、セーター(\950)、バスタオル(\600)、トランプ(\500)、紙製バッグ(\400)、ブレスレット(\400)、ハンカチ(\80)などがあったらしい。公務員の初任給が大卒\17,000、高卒\12,000、かけそば\50、ラーメン\70、週刊誌\50、喫茶店のコーヒー\80という時代背景を考え合わせると、レコードもグッズもけっこう高額商品だったと言わざるを得ない。
基本的に音楽作品以外のビートルズ商品は、64年2月のビートルズ米国上陸を機に、無認可海賊商品の氾濫に業を煮やしたブライアン・エプスタインによって設立された代理店『セルテーブ(Seltaeb)』(Beatlesのスペルを逆に並べたもの)によって一括管理していたが、当時日本で売られたグッズが果たしてどこまでセルテーブ認可商品だったかは不明。現在でもコンサート会場のそばで堂々と非公認グッズが販売されていることを考えれば、著作権意識の低かった当時は、かなりの数の海賊商品が出回っていたものと思われる。1966年6~7月のビートルズ来日時は、これらのグッズ(公認・非公認関係なく)を身につけたファンたちが日本武道館やヒルトン・ホテル(当時)周辺に多数群がったのだろう。
あれから半世紀の歳月を経た昨年2016年、ビートルズ来日50周年を記念して新しいグッズが発売された。それがTHE BEATLESオフィシャルウォッチである。もちろんアップル・コープ社の公認グッズで、全世界限定1966個(来日の年に由来)というプレミアム商品。大人のビートルズ・マニア諸兄には堪らないアイテムなのでは?詳しくは下記URLにアクセス!
≪著者略歴≫
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。
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