2018年01月29日
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2018年01月29日
1月29日はきゃりーぱみゅぱみゅ(正式には「きゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ」)の25回目の誕生日である。
きゃりーのキャリアの始めは高校在学当時、その原宿性を象徴するかのように、いわゆる読モ、読者モデル業だった。『KERA』『Zipper』『HR』と並べば、2010年代初頭の原宿渋谷を舞台にした読者モデル志願の狂躁の雰囲気を思い出されるだろう。
そんな彼女が最初期シングル「PONPONPON」がYOUTUBEで1億ビューを超す、国際的なアイドルになった。それに至る道筋の時代とプロデュースにおける起爆点について、いくつかの点で述べてみようと思う。
彼女の噂を聞いたのは、2011年、原宿のニコニコ動画で行われたイベントに出演していた時。「中田ヤスタカが新しいアイドルのプロデュースを始めた」と、付き合いの深かった秋葉原のライブアイドル・カフェ、ディアステージのプロデューサー、喪服ちゃんから聞いた。原宿・ニコ動という場所もタイムリーだったが、でんぱ組.incを胎動させていた彼女達の口から聞くきゃりーの存在感はリアリティにあふれていた。
時代は「コンピュータシティ」で秋葉原から火がついたパフュームの隆盛を経て、AKB48が全盛期に入ろうとしていた。その流れの中、地下アイドルも爛熟し、アキバが女子にとってイノベーションを持つ記号になっていた。それはオッサンとオタクの街であった秋葉原にとって革命だった。
一方できゃりーの持ち味は、本来オシャレの街であった原宿発であるにもかかわらず、そうした秋葉原のオタクや電脳といった記号と親和性が高かったのである。それはパフュームをプロデュースした中田ヤスタカプロデュースであることも大きかったが、なによりもきゃりー自身の「何でも自分で発想してみよう」とする態度が、自己プロデュースで何でもやらなきゃならない地下アイドル達とそれほど遠くなかったということがある。
彼女のTVブロス誌でのエッセイ連載が早々に始まった初期に衝撃を受けた。「毎日着ているヒートテックのシャツが、あまりに同じものを毎日着ているために、肌と同化してきた」と書いたのだ。何という不潔な描写。ヒートテックがポピュラーになりユニクロが欧米に侵攻を開始していた頃に、きゃりーは日本女子の「呼吸」「皮膚感覚」をあるがままに発信したといえるが、これはウンチをもらしたようだ、思った。黒人は、ファンク音楽でその体臭を出す時に最も黒人文化らしいといわれたりするが、それと同様なパワーを感じた。本物の臭気を厭わない表現性がきゃりーにはある。それは従来の表面的な可愛さに終始するアイドルを逸脱している。「女子自身による女子のためのカワイイ」という持ち味は、男子の欲望の対象としてのアイドルを超えていた。彼女が発想の赴くままに繰り出すビジュアルや発言は、まさに日本女子の生活感覚そのままといっていい。そして原宿というわかりやすいランドマークが、外国人にもはまったのだろう。
中田ヤスタカの貢献はもちろん大きかった。先述した「ファンク」との関連がある。彼がきゃりーでひたすら攻める音楽性は、130~140とほぼBPMも一定の四ツ打ちクラブ(ディスコ)音楽。J-POPとしてはバックビートが非常に強く、ファンク的なニュアンスを強く持っている。そんな音楽性になぜ固執するのか?
2001年にcapsuleとしてメジャーデビューした彼は生粋のクラブDJでもある。しかし2000年代という時代は、クラブ音楽に遅れてきた感があった。彼の足場は、すでに退潮していた純粋ハウスにはなく、エレクトロ・クラッシュというニューウェイヴ的にアナログシンセを多用する新興のエレクトロ・ムーブメントだった。フィッシャーズ・スプーナーというスターを生んだ以外にはつかみにくいムーブメントだったが、類い希なる中田の才能にとって、その得体の知れ無さが幸いとなったかもしれない。中田はアナログ風味のシンセに百花繚乱にジャンルレスな感覚を込め、それはまずパフュームで花開いた。
繊細なプロジェクトであるパフュームには多様なイメージが求められ、洗練された多くのヒット曲が生まれたが、中田の中にはエレクトロ・クラッシュ直系のファンク性を発揮するアーティストが渇望されていたのではないか? と思う。原宿風俗を毛穴で体現したきゃりーは、絶好の対象だったのだと思う。
パフュームでは出さないアッパーな4つ打ちジャブを「PONPONPON」「つけまつける」「ファッションモンスター」「にんじゃりばんばん」とひたすら連発した。まさにアナログシンセのロックンロールだ。その全てが、ための効いたグイグイとしたファンク性を秘めていた。中田音楽の確信がここで示された.
しかも彼の書く詞にはビターな批評性もしばしば備えている。「もんだいガール」の、できないことの憧れを造り変えてく勇気もなく、足をひっぱるのには夢中・・・という詞を始めとして、そこには気だるい現実を真摯に生きる目線がある。「ファッションモンスター」のPVには福禄寿が出てきて「コンサバ」「チャラ男」「野菜」と書かれた棒を叩ききる。
こうしてきゃりーの詞には物質天国日本に生まれた幸福と同時に、ブルースも組み込まれている。きゃりーの歌の持つ言いしれぬアンニュイ感は、発声のバックビートにも対応する。彼女がKAWAIIという時、そこには原宿の人混みの面倒くささも呼吸されている。
彼女は、頭でっかちに挫折しがちだった日本のサブカルチャーに、元気になった少女達と原宿のパワーを背景に、知的でいてポップ、それ故に強力に国際的なスタイルを生みだした。それは今もDJとして現役で全国を行脚し、クラブ音楽に殉じる中田ヤスタカの確かな視線と、そしてきゃりーの女子としての確かな生活感覚、その両輪で編み出された。
≪著者略歴≫
サエキけんぞう(さえき・けんぞう):大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。『未来はパール』など約10枚のアルバムを発表。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げる。2003年にフランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、仏ツアーを開催。2009年、フレンチ・ユニット「サエキけんぞう&クラブ・ジュテーム」を結成しオリジナルアルバム『パリを撃て!』を発表。2010年、デビューバンドであるハルメンズの30周年を記念して、オリジナルアルバム2枚のリマスター復刻に加え、幻の3枚目をイメージした『21世紀さんsingsハルメンズ』(サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース)、ボーカロイドにハルメンズを歌わせる『初音ミクsingsハルメンズ』ほか計5作品を同時発表。また、2017年10月、中村俊夫との共著『エッジィな男ムッシュかまやつ』(リットー)を上梓。2018年3月7日(水)近田春夫をゲストに迎え、渋谷クアトロでパール兄弟ライブを行う。