2018年12月06日
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2018年12月06日
1995年12月6日。ウルフルズを世に知らしめた、シングル「ガッツだぜ!!」がリリースされた。これより3年前の1992年にメジャーデビューした大阪出身のバンドは、これといったヒット曲も出せず苦しい時期を過ごしていた。そんなウルフルズの状況を好転させたのが、2ndアルバム『すっとばす』(1994年8月リリース)よりプロデューサーとして参加した伊藤銀次だった。大瀧詠一、山下達郎とともに『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』(1976年)を発表したギタリストであり、佐野元春のデビュー当時のプロデューサーを務めていた人物だ。2ndアルバム『すっとばす』は、セールスこそ伸びなかったが、音楽業界を中心にウルフルズの名前が知られるきっかけになった好盤だ。この2ndアルバムで伊藤が注力したのが、全体のバンドサウンドの骨格作りと、圧倒的ボーカリストとしてのトータス松本の存在感を高める音作りだった。
こうして、トータス松本という、いわば軸を手に入れたバンドは、1995年に入り、3月から隔月で3枚連続シングルをリリースしていくという当時では常識破りの方法を試みた。それが、「トコトンで行こう!」(1995年3月17日リリース)、「大阪ストラット・パートⅡ」(1995年5月24日リリース)、「SUN SUN SUN ‘95」1995年7月29日リリース)の3枚だ。リリースのペースもさることながら、当時は8cmCDだったシングルを、通常のアルバムサイズ(12cm)でリリースしたことも常識はずれだった。しかしそれが功を奏し、CDショップで軒並みウルフルズコーナーが設けられるようになり、ブレイクへの下地が整っていった。ちなみに、それ以降〝マキシシングル〟という名称で当たり前になる12cmCDでのシングルリリースは、このウルフルズの3枚連続リリースがきっかけとなっている。
ブレイクするための決定打となる曲は何か。バンドもスタッフも暗中模索だった。さまざまなタイプの曲を提案してはボツになるなか、トータスが持参したデモテープの最後に録音されていたのが「ガッツだぜ!!」の原型となるものだった。しかしそれは、KC & ザ・サンシャイン・バンドの「That’s The Way(I Like It)」のサビの部分に「ガッツだぜ」という日本語を当てて歌った替え歌のようなものだった。しかしそれを聴いた伊藤銀次は「これだ!」と即決したという。
世は小室サウンド全盛期。ディスコビートにロックを乗せれば時代のサウンドになるのではないかというプロデューサーとしての勝算が伊藤にはあった。歌詞も内容よりもノリを重視したものにし、「ガッツだぜ!!」は完成した。初登場時の順位は低かったものの、ぐんぐんと売り上げを伸ばし、最終的にはオリコン週間チャートで6位まで上り詰めた。
この曲の認知とヒットに貢献したものとして、ミュージックビデオの存在は忘れてはならない。殿様姿のトータス松本が画面狭しと歌いまくる映像は衝撃だった。また、ダウンタウンを中心とした関西お笑い勢の飛ぶ鳥を落とす勢いともリンクし、ウルフルズはそのキャラクターとともに世の中に浸透していった。ちなみに、ダウンタウンのブレーンで知られる放送作家の高須光聖は、ウルフルケイスケ、トータス松本、ジョンBが出会った大阪のインド風喫茶店のバンド仲間だった。
ウルフルズ「トコトンで行こう!」「大阪ストラット・パートⅡ」「ガッツだぜ!!」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
谷岡正浩(たにおか・まさひろ):1972年生まれ。同志社大学法学部卒。情報誌「ぴあ」元編集長。2013年よりフリーランスの編集者、ライターとして活動。『ラストデイズ 忌野清志郎 太田光と巡るカバーズの日々』(パルコ出版)、『いつでも心は放牧中』(いきものがかり 山下穂尊著/KADOKAWA)などの構成を手がける。
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