2019年01月31日
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2019年01月31日
1994年(平成6年)の本日1月31日は、森高千里の22枚目のシングル「気分爽快」の発売日。
平成最初の10年のヒットソング界を象徴するメディアとなった8cmCDシングル(通称「短冊」)。最早キッチュとさえ形容できるそのメディアの象徴として最も相応しいアーティストは誰かと問われたら、筆者は迷わず森高千里をおいて他にないと答える。1987年のデビューから、江口洋介との結婚に伴う活動休止期間に入る1999年までの間にリリースしたシングルは、延べ40枚。8cmCDシングルが市場に登場する前にリリースされた最初期の2作を除き、全て「短冊」での初出である。その初期2作さえ、後にカップリングされて「短冊」で発売されているので、短冊リリース枚数は39枚という事になる。それらの中には、初期リリースではまだ並行していた7インチヴァイナル盤や、一時期同発されたカセットシングルは別として、90年代末期よりスタンダードになり始めた12cm「マキシシングル」は一切含まれていない。まさに「短冊の申し子」である。ヴィジュアル面でも魅力的なアイテム揃いで、これらのジャケットを一斉に並べたポスターでも見てみたいものだ(なお、88年リリースされた5曲入りミニアルバム『ロマンティック』は、盤こそ8cmであるが、12cmCDサイズの薄型ケースに収められており、チャートでもアルバム扱いされた。寧ろ昭和のうちにそんなアイテムをリリースしていたとは痛快ではないか)。
正直に書くと、筆者内での森高ブームは行ったり来たりという状態だったので、コンスタントにシングルを集めるには至らなかった。のちに中古でまとめて安く入手するチャンスがやってきたりはしたものの、39枚の短冊全てが手元に集まるには未だ至っていない。特に最近は、その時々のヒット情勢と対比するといまいち売れたとは言い難い末期10枚(97年の「Let's Go!」以降)の入手困難度が上がっているようなので、これから集めてみたいと思っている方は、相当の茨の道を覚悟した方がいい。
そんな中でも、この「気分爽快」は比較的に見つけやすい部類に入るのではなかろうか。オリコンチャートでは、ZARD、B’zといったビーイングのトレンドセッター陣に阻まれ3位止まりだったが、森高のシングル総売上ランキングでは、翌年の「二人は恋人」に次いで2位という好成績となっている。カラオケブームが先導した当時のヒットソング界の流行り廃り事情を思うと、ビーイング勢に勝てなかったことにも、「雨」や「渡良瀬橋」といった、後にスタンダードとしての持続力を増した曲より売れていた事実にも、納得するしかない。
では、この曲にそこまでの瞬発力を与えたものは何だったのか。それはやはり「リアルな生活感」だろう。
「脱アイドル」から「超アイドル」を経て自ら歌詞を書くようになってから、飾らない言葉で乙女の生活感をストレートに表現し、自然体のカリスマへと進化した森高は、92年の「私がオバさんになっても」を皮切りに、同世代の女性からの共感を高めていく。彼女たちにとってカラオケで森高の歌を歌うことこそ、立派な人生謳歌だったのである。そんな状況の中、ビールCMのタイアップなんかを得てしまったら、出てくるメッセージは単純明快、「飲もう」である。かくしてこの曲は、ビールのCMソング史に於いて金字塔に等しい雛形を形成することにもなったのだ。
ビールのCMといえば、「男は黙ってサッポロビール」や「若さだよ!ヤマちゃん」が流行語として耳に入っていた我が幼少期。やがてニューミュージックの歌手達が駆り出され、「ハピネス」(タケカワユキヒデ、79年)や「南回帰線」(堀内孝雄・滝ともはる、80年)など、歌手本人による商品名ジングルが寄せられたタイアップソングがヒットした時代を経て、当時24歳の女性歌手がポジティブに歌う「気分爽快」の登場で一気にライフサイズに近づいた。以降四半世紀、日本のビールドリンキングソング界でこの曲の牙城を崩したと言える曲は、未だ現れていないと思う。伊達めぐみ「みんなでdeカンパイ!」(2003年)が、辛うじてそれに迫ったと言える位。ビール飲む時くらいは、破滅モードに入らずパーっと、明るくいきたいものです。日本酒や焼酎に伴う「しみじみ飲めば、しみじみと?」みたいな世界観もいいけどね。
おっと、忘れないうちに肝心の音楽面についても少々。自らの作詞による等身大感と並行して、この頃の森高ワールドの主軸となっていたのが、彼女自身によるドラミングだ。92年の実験的アルバム『ペパーランド』を皮切りに、自身の作品ではほぼ10割、ドラムスツールを他人に譲ることはなくなった。その言葉と同じほど自然体と言えるグルーヴ感は、もちろんこの「気分爽快」でも全開。よく言われる「ビートルズ感」を通り越して、60年代の米国のいなたいガレージバンドさえ想起させるそのビートを、12弦ギターの煌びやかな音が助長する。これで作曲が黒沢健一(2016年没)と言われたら、なるほどと頷くしかない。当時まだ一介の「玄人受けするバンド」以上の評価をまだ得られていなかったL⇔Rは、翌年「Knockin' On Your Door」でオリコン1位を獲得、大ブレイクすることになる。森高の先見の明は、同世代の日本のバンドに対しても鋭かったのだ。歌詞をよく読むと、単にイケイケな飲みアンセムに終わらない陰りの部分があちこちに現出するが、メロディーの一部がそれをさらに際立たせるような感がある。CMで流れない部分にも、しっかり耳を傾けてよと言っているようだ。
ついでながらこの「気分爽快」は、のちにモーニング娘。を大ブレイクさせるゼティマの前身となったアップフロント・エージェンシー初の直営レーベル、ワン・アップ・ミュージックのカタログ品番1番(EPDA-1)となっているが、実は2番(EPDA-2)である「ロックン・オムレツ」の方が発売が6日早い。同シングルが「ポンキッキーズ」のタイアップにより急遽発売された故の結果であるが、このトリヴィアに「あ、こんなとこまでビートルズ」とニヤリとされたマニアの方、いらっしゃるはず。敢えて答えは出しませんが(ヒント: その30年前)。
森高千里「気分爽快」「二人は恋人」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。2017年 5月、3タイトルによる初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』が発売。また10月25日には、その続編として新たに2タイトルが発売された。
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