2018年05月22日
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2018年05月22日
ポスト・パンク以降のUKロック随一のカリスマであるモリッシーは1959年5月22日生まれ。マンチェスターで育ち、ギター・バンドのザ・スミスのフロントマンとして1982年に英国シーンの表舞台に現れて脚光を浴び、解散直後の1987年の秋からソロで活動して日本でも絶大な支持を集めている。
ミュージシャンというよりは歌手であり、歌詞に加えてジャケットも自己表現の一つだ。曲を書く音楽パートナーにより作風は多少異なるが、ルックスも含めて変わらない。オスカー・ワイルドやジェームス・ディーンといったモリッシーの“アイドル”も含めて、古き良きものを愛する意識に貫かれている。
伝統的な嗜好性を反映してザ・スミス時代からモリッシーの音楽は“保守本流”である。多彩ながらあくまでもポピュラー・ミュージックであることにこだわるが、中低音域のファルセットを活かしてデリケイトなイメージをふくらませる歌声のオーラが尋常ではない。すがすがしく苦く生々しく何が起ころうと動じないヴォーカルから“毒”がゆっくりと頭の中にまわってくる。いわゆるラヴ・ソングはほとんどない。自虐と自嘲を繰り返しながら孤独感や厭世感、疎外感を解き放つべく、モリッシーはまっすぐに歌い倒す。
どの歌詞も“居心地の悪さ”がモチーフだが、政治/社会ネタの曲では温和な歌い方とは裏腹に挑発的なほど波紋を投げかけ続けている。モリッシーはいつでも歯に衣着せぬ本音を吐く。ザ・スミス時代のアルバム・タイトルの『ミート・イズ・マーダー』(1985年)や『クイーン・イズ・デッド』(1986年)にも表れた、動物虐待や王室などのターゲットも不変。当時の英国首相の挽歌に聞こえる「マーガレット・オン・ザ・ギロチン」(1988年の『ビバ・ヘイト』に収録)や、英国の極右団体も歌い込んだ「ザ・ナショナル・フロント・ディスコ」(1992年の『ユア・アーセナル』に収録)をはじめとして、ソロ活動を始めてからさらに刺激的な言葉を挟み込む一方で、インタヴューやライヴ中の言動はもっとストレートだから絶えず物議を醸している。そういった“炎上”を本人が楽しんでいるかのようであり、すべてひっくるめてモリッシー流のエンタテインメントにもなっている。
ファンクラブの支部長を務めたニューヨーク・ドールズなどのジェンダーを撹乱するグラム・ロックに勇気づけられ、“性”に対する挑戦的な表現とゲイのイメージを匂わせる佇まいも変わってない。アーティスト肌のようでインテリ気取りとは対極の庶民派だから、学のない人にもやさしい単語と言い回しで歌詞を綴る。発言でも飛び出す煽るほど強烈な言葉もヒューマニズムを超え、労働者階級をはじめ虐げられた生きとし生きるものへの純な愛として、こだまする。主張をナイーヴと感じることも少なくないが、モリッシーは右にも左にも属さないリアリストである。
メッセージ性をはらむ曲をたくさん歌っているにもかかわらずモリッシーがあまり社会派と呼ばれないのは、弱さもたくさん歌ってきたからだ。愚痴でもあるし自己憐憫も目立つが、過激な言葉と背中合わせで人間臭く、手垢にまみれたプロテスト・ソングや無邪気なレベル・ミュージックとも一線を画す。ロックンローラーというよりバラード・シンガーに近い不変の歌声にも表れているように、そもそもザ・スミスでデビューした時からモリッシーはある種の諦念に包まれていた。
2017年11月リリースのソロ11作目の『Low In High School』でも“モリッシー節”健在だ。すべてにおいて“確信”が強まっているから驚くほど歌声がパワー・アップ。還暦間近、でもモリッシー、ますます元気である。
≪著者略歴≫
行川和彦(なめかわ・かずひこ):Hard as a Rockを座右の銘とする1963年生まれの音楽文士&パンクの弁護人。『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)、『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)、『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)を発表。
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