2019年02月14日
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2019年02月14日
今からおよそ30年前の事である。ザ・ローリング・ストーンズの初来日公演が1月6日に発表されると、僕の周囲は大騒ぎになった。僕の周囲どころか、日本中が大騒ぎになったような錯覚に陥った。テレビやラジオがこぞって報道し、新聞や週刊誌がストーンズの記事を大量に掲載した。街中にベロマークが溢れ、あたかも日本人全員がストーンズ・ファンであるかのような幻覚さえ沸き起こったのだった。
1月13日にチケットが発売されると、わずか1時間ほどでソールドアウトになった。前代未聞だった。東京ドーム10回公演のチケットはプラチナ・チケットと言われ、熱狂的なファンはチケットを求めて半狂乱になっていた。また数枚のチケットを持っていても「1センチでも前の方の席を求めて」走り回ったファンもいたようだ。中には「100枚ほどチケットを入手したが、全部スタンド席なので、アリーナ(フロア)が欲しい」と夢中で電話をかけまくる猛者もいた。まだスマホのない時代の事である。電話予約をしても電話が先方に繋がらず「靖国神社のそばの公衆電話が繋がりやすい」などと流言飛語が飛び交い、右往左往するのであった。巷間でもストーンズの話題で盛り上がり、ある種の社会現象となっていたようだった。そういった騒ぎの相乗作用で、ストーンズをよく知らない連中までもが、チケット争奪戦に参戦してきたようだった。異様な興奮と緊張に包囲され、僕は不眠症に落ち入った。
そして2月に入り5日に、キース・リチャーズとロン・ウッドがニューヨークから成田空港に到着した。翌日にミック・ジャガーとチャーリー・ワッツがロンドンから到着した。空港にはどこで知ったのか、1,000人を超えるファンや報道陣が押し寄せ、大混乱になっていた。サインを貰おうとするファン、プレゼントを用意して渡す際に握手しようとするファン、ただ一目だけでも自分の眼で実物を見ようとするファン、写真を撮ろうと必死の形相のファン、初来日の様子を取材しようと血眼の報道関係者たち、それらを警備する人々、そしてやじ馬連中。様々な人々が成田空港第1ターミナルに押し寄せていた。この時、僕は歓喜の中にいながら、意識朦朧として、何が起きているか、よくわからない精神状態だった。顔見知りのストーンズのスタッフ達、トニー・キング、ジェーン・ローズ、ジム・キャラハン、ローワン・ブレード、ボブ・ベンダー、リン・タンズマン、チュッチ・マギー、ピエール・ボウーポート、アラン・ダン、アーノルド・ダン、キャロライン・クレメンツ、ジョー、スピン、シェリー、そしてマイケル・コールなどと笑顔を交わしながら「ウエルカム、トゥ、ジャパン」と言うのが精一杯だった。殆どの人は、今は引退していないのが残念だ。スタッフは、的確に役割分担されていた。バンド側のスタッフとプロダクション側のスタッフ、その緊密なチーム・ワークにはたびたび驚かされた。ストーンズはユーモア溢れる優秀なスタッフによって支えられている。
懇意にしていた元ユニヴァーサルのCEO故石坂敬一さんは、かつて僕にこう言った。「ストーンズは日本人の大きな忘れ物だよ」と。その言葉が突然思い出された。また故キヨシローはいきなり電話してきて「来日、おめでとう」とだけ言って、電話を切った。気がつくとビル・ワイマンが到着していないではないか。なんでも父親が危篤で、遅れて来日すると言う。「果たして間に合うのか?」と危惧する中、9日には後楽園ホールで記者会見が行なわれたが、ビルの姿はなかった。そんな中で「公演は、ビル・ワイマン不在のため中止になる可能性あり」というデマが流れ、いきなり不安の渦の中に抛り出された。こんな状況で中止になったら、どうなるんだ。’73年の「来日中止事件」が脳裏をかすめた。それでもストーンズは、江東区にあったエムザというディスコのような場所で、リハーサルを始めていた。
百戦錬磨のストーンズだが「初めての日本公演」は緊張するようだという話を聞いた。僕は毎日、宿泊先のホテル・オークラに呼び出され、ついには疲れ果て部屋をとり宿泊したりした。要件は、色々あった。スタッフの都内観光やお土産買い物、小さなパーティー、要するに雑用係だった。驚いたのは、ホテルの中に熱心なファンが短期アルバイトで就職している事だった。部屋の掃除係だったり、荷物運搬係だった。ただ、ストーンズの宿泊しているオークラ別館の仕事ではなく、本館の仕事で「あてが外れた」とぼやいていた。ビル・ワイマンは、いつの間にか、来日していた。オークラで彼の姿を見かけた時には、ほっと安堵したのだった。
そんな大混乱の日々が続く中で、公演初日がやってきた。僕は早々と会場に行き、豪勢なバックステージに行くとミックが4歳になったジェームズと静かなバンド・ラウンジで木馬にまたがり遊んでいた。しばし、リラックスした時間を過ごしていた。微笑ましい光景だった。開演時間が迫って来ると、VIPラウンジには沢山の人が集まり始め、中にはヴィジュアル系の日本のバンド・メンバーやジャニーズ系のメンバーが数人いて、その内の一人が「バンド研修」だと言って、真剣になにかをスタッフに聞いていたのが印象深い。おそらくストーンズのライヴの現場の運営方法などを勉強しに来ていたのだろう。いよいよ開演40分前になると、トニー・キングの「ショー・タイム!」のかけ声で皆と共に客席に向った。オープニングの「コンチネンタル・ドリフト」の流れる中、僕は疲れ果て、不覚にも少し寝入った。周囲は大きな歓声を上げて、大騒ぎである。しかも日本人だらけ。これがなんと言っても圧巻だった。感無量だった。「スタート・ミー・アップ」の終わり頃に覚醒し、皆といっしょに盛り上がった。そしてこの最初の日本公演では、決まって「ミス・ユー」の時に席を離れ、会場内を小走りで観客を見て回った。時には、東京ドームの外に出てみた。するとチケットを持たないファンが建物の壁に耳を当て、目をつぶり、真剣な表情でストーンズの音を聞いていたのが忘れられない。
付言すると、ひとつの会場で続けて10回公演は、長いストーンズの活動歴の中でも、この1990年「スティール・ホィールズ東京ドーム公演」しかなく、その初日公演は刮目に値すると言っていいだろう。
≪著者略歴≫
池田祐司(いけだ・ゆうじ):1953年2月10日生まれ。北海道出身。1973年日本公演中止により、9月ロンドンのウエンブリー・アリーナでストーンズ公演を初体感。ファンクラブ活動に参加。爾来273回の公演を体験。一方、漁業経営に従事し数年前退職後、文筆業に転職。
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