2018年05月21日
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2018年05月21日
女性ロック・ヴォーカリストの存在自体がまだ物珍しかった70年代前半の日本に於いて、本格的なロックを歌う希少貴種でもある歌姫たちは、その道のシンボル的存在のジャニス・ジョプリンに比喩されることがお決まりだった。
我が国における女性ロッカーのパイオニアである麻生レミは「日本のジャニス」と呼ばれた (60年代にロカビリー歌手・麻生京子としてデビューした時は「日本のワンダ・ジャクソン」と称された)し、フォークからロックに転向した時期のカルメン・マキも和製ジャニス・ジョプリンとして紹介されることが多かった。
中でも「下北(沢)のジャニス」という、なんとも庶民的なキャッチフレーズで親しまれたのが、前出の二人よりも世代が下の金子マリである。南正人が名付けたと言われるその異名どおり、1954年12月1日に東京都世田谷区下北沢で生まれた彼女(本名:金子眞利)は、5歳の頃から歌手を志し、中学時代は学友たちとピーター・ポール&マリー(PP&M)のコピーに明け暮れ、高校時代にはロック・バンドに参加。そのバンドで日比谷野音のコンサートに出演したことがきっかけとなって知り合ったCharの誘いで、彼が鳴瀬喜博(ベース)たちと結成したスモーキー・メディスンのヴォーカリストになり、73年11月にステージ・デビューした。
当時のトレンドとも言えるファンキーなR&Bとハード・ロックをミックスした独特なサウンド、Charの天才的なギター・プレイ、そしてマリのパワフルなヴォーカルで脚光を浴びたスモーキー・メディスンだったが、レコード・デビューすることもなく短期間で解散。マリと鳴瀬は、元ジプシー・ブラッド~サディスティック・ミカ・バンド(一時期脱退した高中正義の後任)のギタリスト永井充男、学習院大学の軽音部でEL&Pコピー・バンドを率いていた難波弘之(キーボード)、慶應大学の音楽サークルで活動していた橋本英晴(ドラムス)と共に「金子マリ&バックスバニー」を結成する。ちなみにバンド名の命名者は永井で、有名な漫画キャラクターではなく、「ピチピチした若い女の子」を意味するスラングが由来となっている。
スモーキー・メディスンのソウル・ファンク要素をさらに鮮明に打ち出したファンキーなリズム・セクションとソウルフルなヴォーカルに、プログレの出自も窺わせるキーボード・プレイなどが融合したサウンドは、同傾向の音楽性を持つ関西のグループ「ソー・バッド・レヴュー」(山岸潤史、石田長生などが在籍)と共に音楽業界の注目を集めていった。
そして、今から42年前の今日1976年5月21日、当時、従来の歌謡ポップスやフォークに代わる若者向け音楽(ニューミュージックと名付けられた)の制作部門を新設して、新人アーティストを探していたCBSソニー(現ソニーミュージック)から、デビュー・アルバム『MARI & BUX BUNNY』をリリース。それは「下北のジャニス」金子マリが本格的レコード・デビューを飾る記念すべき日でもあった。
『MARI & BUX BUNNY』ジャケット撮影協力:中村俊夫
77年2月、バックスバニーは2ndアルバム『ライブWe got to…』をリリースするが、その直後に橋本が脱退。後任ドラマーとしてマリの将来の夫となるジョニー吉長が参加して、翌78年6月に3rdアルバム『Shoot The Moon』をリリースするものの、今度は難波が脱退。後任に元イエロー~カルメン・マキ&OZの川崎雅文を迎えて4thアルバム『The Super-natural』(79年7月発売)の制作が開始されるが、結局この作品がバックスバニーのラスト・アルバムとなってしまった。
79年秋に吉長がジョニー、ルイス&チャー参加のために脱退。バックスバニーは活動停止となり、メンバーは各自ソロ活動に入る。しかし、その後も何度か集まってはライヴを行なっており、特に彼らの全アルバムを集めたCD4枚組ボックス・セットがリリースされた2017年3月には、家業を継いで音楽活動から離れている橋本を除くオリジナル・メンバー全員が久々に集結。マリの長男で俳優兼ドラマーとして活躍する金子ノブアキと、二男でベーシストのKenKen(金子賢輔)もゲスト出演し、往年のオールド・ファンだけではなく、伝説のバンドを一目見ようと集まった「下北のジャニス」を知らない世代の観客たちをも大いに沸かせたのであった。
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