2016年03月29日

本日3月29日は成毛滋の命日

執筆者:小貫信昭

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本日、3月29日は成毛滋の命日。1947年生まれなので、生きていれば69歳となる。


僕は80年代の前半に『STEREO』という音楽之友社の雑誌で60年代のエレキ・ブ-ムを考察する連載というのをやっておりまして、担当してくださった編集部の方がその方面に造詣が深い方だったこともあり、とても貴重な取材経験をさせて頂いたものでした。


グヤト-ンとかテスコとか、当時名を馳せた国産ギタ-・メ-カ-に伺ったりもしました。でも既にギタ-は作ってないところもあった気が…。テスコ・ブランドは確か、オルガンのメ-カ-か何かになってた記憶があります。


人物で言うなら、ぜひ一度、「お目にかかりたいものですねぇ」なんて話していたのが成毛滋さん。そう。あの「勝ち抜きエレキ合戦」で“コンテスト荒し”として名を轟かせたギタ-の名人です。


実は僕は、すでに成毛さんには間接的に“お世話”になっていたのです。高校の頃、ス-パ-でバイトしたお金でグレコの「レスポ-ル・モデル」を買ったのですが、そこに教則カセットがついていて、先生が成毛さんだったわけです。ツェッペリンの「ブラック・ドッグ」のリフの弾き方とか、懇切丁寧に教えてくださっていたのです(当時のバイトで想い出しましたが、働いていたス-パ-に主任と呼ばれていた大学生がいて、このヒトが昼休みに、「コ-ラ、飲む?」というから「ハイ」と言うと、あろうことか鮮魚ケ-スの氷を掬い、ちょちょっと濯いで僕のコップに入れたのです。エラいところでバイトしちゃったなぁと思ったのですが、いやはや話が甚だしく脱線しました)。


結局、僕のギタ-はモノにはならなかったのですが、ちょこっとでもジミ-・ペイジの気分にさせてくれた成毛さんには感謝感謝、なのでした。


さて、編集部が成毛さんに取材のオファ-をしたところ、快くオ-ケ-ということで、当日、ご自宅へ伺いました。この方は確か、ブリジストン創業者のお孫さんであり、そこは門から母屋まで距離がある、広い広いお屋敷でした。「粗相があっては…」と、一気に緊張が高まったものです。


でも出迎えてくれた成毛さんは、実に実に気さくな方で、彼が高橋幸宏さんのお兄さんの高橋信之さんとやっていた「フィンガ-ズ」の頃の話も、たくさんしてくださいました。サイドボ-ドの下の引き出しをひょいとあけると、「灯りのない街」とか「ゼロ戦」とか「ツィゴイネルワイゼン」とか、当時のド-ナツ盤が出てきて、ひとつひとつ説明してくださったのを覚えています。


さらに話は、もちろんギタ-・コンテストのことにも及びました(いま手元に記事のコピ-がないのですが、もし興味がおありでしたら『STEREO』のバックナンバ-をお探し頂ければと思います)。先にバンドの話が出てしまいましたが、話としては逆で、コンテストで評判になったからこそ、彼は「フィンガ-ズ」としてデビュ-したわけです。


なにしろ成毛さん達は“荒し”なのですから、各会場で当然のごとく優勝します。レベルが違うのです。フジテレビで放映していた、あの有名な「勝ち抜きエレキ合戦」でも日本一になっています(このあたりのことは黒沢進著『熱狂! GS図鑑』に詳しい記述が)。そして当時の賞品というのは、主にギタ-だったそうです。それをグヤト-ンなどが提供していたのでした。


取材がそろそろ終了、お暇の時間となりました。見送ってくださった成毛さん。そして玄関の手前で立ち止まって、掌を自分の首のあたりにかざし、掌を下に向け、こう仰ったのでした。

「確か、このくらいはあったんじゃないかなぁ…」

“これくらい”がなにを意味するのか…。みなさん、お分かりでしょうか。それは賞品としてコンテストで獲得したギタ-を、横に積んだ時の高さなのでした。

「うん。このくらいは…」


あの時の成毛さんの表情を、いまもハッキリ覚えています。

写真提供:芽瑠璃堂
http://merurido.jp/
成毛滋

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