2016年03月28日
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2016年03月28日
2013年に97歳で天寿を全うした作詞家・岩谷時子が遺した作品は膨大な数に及ぶ。ヒット曲の多さも歌手・越路吹雪のマネージャーを務めたことでも知られるが、それを一切の報酬を受け取らずに行っていたのはあまり知られていないのではないだろうか。小さな体に秘められた類い稀なる才能で、ミュージカルの翻訳や随筆でも活躍した女流作詞家の第一人者は、精力的に仕事をこなす一方で私生活では生涯独身を貫いた。3月28日は岩谷時子の誕生日。今年は生誕100年の年にあたる。
5歳の時から西宮で過ごし、神戸女学院英文科を卒業した後、宝塚歌劇団の出版部に就職したのは1939年のことであった。そこで機関紙「歌劇」の編集に従事する中で、タカラジェンヌの越路吹雪に出会う。8歳の歳の差こそあれ、いわば同期生。二人は意気投合し、すぐに越路は年上の岩谷に全幅の信頼をおくようになる。戦後の1948年、越路が宝塚に在籍したまま東宝の映画『東京の門』に出演することになり、マネージャー代わりに一緒に上京。以来付き人を務めるようになった、越路が宝塚を正式に退団して東宝専属となる1951年には、岩谷も東宝文芸部に籍を置く。越路が出演した日劇の舞台『巴里の唄』で、「愛の讃歌」を初めて訳詞に手を染めたのは翌1952年のこと。同じ年には映画『上海の女』の劇中で山口淑子が歌った挿入歌の作詞も手がけた。
その後も越路を支えながら、訳詞と作詞の仕事を続ける中で、岩谷時子の名が世間からクローズアップされるのは、やはり1960年代に入ってから。カヴァー・ポップス隆盛時代の先駆けとなった、森山加代子「月影のナポリ」やダニー飯田とパラダイス・キング「ビキニスタイルのお嬢さん」の訳詞を担当した後、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」「ウナ・セラ・ディ東京」、岸洋子「夜明けのうた」とヒットを連ね、1964年の日本レコード大賞作詞賞を「ウナ・セラ・ディ東京」と「夜明けのうた」でダブル受賞している。岸の歌唱でヒットした「夜明けのうた」は、元々は坂本九のために書かれたもので、前年にドラマの主題歌として歌われていた。坂本盤も「夜明けの唄」としてリリースされて競作となったが、元の詞の「ぼく」が岸盤では「あたし」に換えられたことで、勤労少年を励ますテーマから壮大なラブソングへと転化されて大きなヒットへ至ったとおぼしい。坂本九とは親しい間柄であったらしく、柏木由紀子との交際や結婚報告をいの一番に報告した相手も岩谷であったという。母親のように慕っていた様子が窺える。
作曲家では、「夜明けのうた」をはじめ、布施明が歌った「これが青春だ」など一連の学園青春ドラマ主題歌、ピンキーとキラーズ「恋の季節」、佐良直美「いいじゃないの幸せならば」などのいずみたく、ザ・ピーナッツの楽曲のほか、園まり「逢いたくて逢いたくて」、梓みちよ「お嫁さん」、沢田研二「君をのせて」などの宮川泰と組んだ仕事が目立つ中、最もコンビ作が多かったのは、弾厚作こと加山雄三になるだろう。編曲の森岡賢一郎を加えたゴールデントリオの作品は、「君といつまでも」「美しいヴィーナス」「海その愛」などなど膨大な数に及ぶ。コンビのレコードとしては弾厚作のスタートとなった「君が好きだから」が最初になるが、まだ自ら作曲を手がける前、歌手・加山雄三のデビュー作も実は岩谷の作詞によるもの。1961年に東芝レコードから出された「夜の太陽」のカップリング曲「大学の若大将」は東宝文芸部時代の岩谷が作詞、日劇の音楽監督などで活躍していた広瀬健次郎 が作曲して、同名の映画作品の主題歌に使用された。「若大将シリーズ」の第1作である。
「君といつまでも」の詞に出てくる“褥(しとね)”とは何? という声が時々聞かれるが、岩谷曰く、「お布団とか枕みたいなものかしらね」と。つまりは添い寝など男女の同衾の様子が描かれているわけで、文法的には決して正しくないのかもしれないけれども、この独特な表現こそが岩谷作品の魅力であり、真骨頂なのである。かと思えば「ベッドで煙草を吸わないで」や「いいじゃないの幸せならば」のようにストレートな愛の表現もあって、穏やかな表情の内に秘められた情熱的な魂が、岩谷の創作意欲を掻き立て、様々な作品が具象化されていったのであろう。シャンソンの訳詞も、歌謡曲の作詞も、そしてミュージカルプレイもずっと愛され続け、歌い継がれてゆく。生誕100年を迎えた今年、また新たな形で作詞家・岩谷時子にさらなる評価が重ねられてゆくに違いない。
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