2015年09月28日

46年前の<日本近代ロック黎明期>に開催された『第一回日本ロック・フェスティバル』こそ、その後の大型ロック・フェスの源流であった。

執筆者:中村俊夫

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今から46年前の今日1969年9月28日は、今は亡き東京厚生年金会館大ホールで『第一回日本ロック・フェスティバル』が開催された日である。グループ・サウンズ(GS)ブームが終息した1969年、海の向こうで巻き起こっていたレッド・ツェッペリン等に代表されるロックの新しい潮流に反応して登場してきた<ニューロック>と呼ばれる新たなバンド群(その中にはGSから本格的ロック・バンドへと発展したゴールデン・カップス、モップス、フラワーズ、ハプニングス・フォー等もいた)が台頭。芸能プロダクションやレコード会社によってあまりにも商業主義へと突き進んでいったGSの総括として<アンチ芸能界>を旗印に活動していた彼らは、まだロックそのものが市民権を得ていない日本の状況の中で苦闘していたが、70年安保前夜のベトナム戦争泥沼化による世界的な反戦気運の盛り上がり等による当時のラジカルな気運も相俟って、反商業主義的なカウンター・カルチャーとして徐々に認識されていった。そんな<日本近代ロック黎明期>の最初期に開催されたロック・イベントのひとつが、この『第一回日本ロック・フェスティバル』だったのである。


出演者はゴールデン・カップス、パワー・ハウス、内田裕也とフラワーズ、ブルース・クリエイション、エディ藩グループ(エディ藩の他、柳田ヒロ、ケネス伊東、デ・スーナーズのエディ・フォルトゥーノ)、チューリップス(ジプシー・ブラッド→井上堯之バンド加入前の速水清司が在籍)、井上堯之(当時はまだ<孝之>表記)、増尾好秋、田畑貞一など。主催はこの年の4月に創刊されたばかりの音楽雑誌『ニュー・ミュージック・マガジン』(現『ミュージック・マガジン』。以下NMM)で、同誌編集長の中村とうよう、音楽評論家の福田一郎と木崎義二などが運営委員を務めた。ニューロック期初のロック・イベントとしては、69年9月22日に成毛滋が発起人となって日比谷野音で開催された『10円コンサート』(9月22日付の本コラム参照)があるが、そのわずか6日後に本格的ロック・フェスが開催されたわけで、入場料150円(当時のJR最低区間運賃は30円。タクシー基本料金は100円)という価格も手伝ってか、前売りチケットは発売1週間でソールド・アウト。キャパ2400人のホールはほぼ満杯状態での開演となり、約4時間に亘る長丁場のステージのラストは、出演者全員による「I’m So Glad」の合同演奏で締めくくられた。会場でのアンケート集計によると、観客の平均年齢は18.5歳。出演者の中で最も人気が高かったのはエディ藩グループが圧倒的だったという。


この成功に気を良くしたNMM誌は、第一回目を観ることができなかった多数の読者たちからの強い要望もあって、翌70年1月6日・7日の二日間に亘り同じく東京厚生年金会館大ホールで『第二回日本ロック・フェスティバル』を開催した。6日にパワー・ハウス、スカイライナーズ(米国西海岸から来日した新人バンド)、エモーション(成田賢の新バンド)、エム、ハプニングス・フォー、リッキーと960ポンド、内田裕也とフラワーズ、成毛滋グループ、岸部おさみグループ(実質的にタイガース+ゲスト)、宮間利之とニュー・ハード等が出演。7日には、モップス、ズー・ニー・ヴー、ゴールデン・カップス(アイ高野参加後の初ライヴ)、沢村和子とピーターパン、石川晶とカウント・バッファロー、猪俣猛とサウンド・リミテッド、陳信輝グループ、麻生レミ・オールスターズ(クニ河内が参加)等が出演した。6日は空席があったものの7日は満杯。会場の盛り上がりも出演者たちの演奏も前回を凌ぐ出来であった。


同年5月には、さらにスケールアップして5日間に亘り全国4カ所の会場で第三回目を開催。出演者は、5日(東京サンケイホール)がフラワー・トラヴェリン・バンド(FTB)、モップス、ゴールデン・カップス、ハプニングス・フォー等。6日(横浜公園野外音楽堂)がブラインド・バード、FTB、モップス、ゴールデン・カップス、ハプニングス・フォー、エモーション、ルイズルイス加部グループ等。8日(大阪厚生年金ホール)がヘルプフル・ソウル、FTB、モップス、ゴールデン・カップス等。9日(日比谷野音)がブラインド・バード、FTB、エム、ヘルプフル・ソウル、モップス、ソウルフル・ブラッズ(のちにアリスを結成する矢沢透が在籍)、増尾好秋グループ等。10日(日比谷野音)がフード・ブレイン、山口富士夫グループ(成毛滋がキーボードで参加)、FTB、モップス(亀渕友香がゲスト)、猪俣猛とサウンド・リミテッド、稲垣次郎とソウル・メディア、ゴールデン・カップス、ロカビリー・リバイバル・サーカス(内田裕也、ほりまさゆき、フランツ・フリーデルによるユニット)、ハプニングス・フォーといった面々だった。


 東京サンケイホールが満杯だったのを除いては、野外会場が雨天に見舞われたことや、当初ゲスト出演が予定されていたスピリットの来日ドタキャンが災いしてか、どこも6~7割程度の集客。やはり大幅な規模拡大に無理が生じたのだろう。また、最終日10日にはFTBの出演中に数人の暴漢がステージに上がりバンドを襲撃したが、元ボクサーのジョー山中の返り討ちに遭い撃退されるというハプニングも発生。そんなトラブルや集客失敗が祟ってか、NMM誌主催の『日本ロック・フェスティバル』はこれが最後となった。しかし、70年代日本ロック黎明期において、同イベントが国内ロック情報の拡散と啓蒙に果たした功績は大きく、その後70年代に各地で開催されるロック・フェスの雛型となっただけでなく、現在の人気大型ロック・フェスの源流として歴史にその名を残しているのである。


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