2015年09月19日
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2015年09月19日
70年代初頭の日本ロックというと、現在では何かと<はっぴいえんど史観>に基づく評価ばかりが幅を利かせていて、はっぴいえんど系列に属するバンド、アーティストだけが日本のロックを築き上げてきたかのような論調のコラム等が目立つが、これはハッキリ言って歴史の捏造に近い。少なくともGSブームが終焉を迎える1969年から、キャロル、サディスティック・ミカ・バンドが登場する72年頃まで、日比谷野音などで頻繁に行なわれていたロック・イベントにおいて主流派と言えるのは、フラワー・トラヴェリン・バンド、ブルース・クリエイション等のハード・ロック系バンドたちだったからだ。そして、今から43年前(1972年)の今日9月19日に解散した<日本最強のロック・トリオ>フライド・エッグもそんな70年代初頭のロック・シーンを代表するバンドのひとつだったのである。
アマチュア時代から驚異的なテクニックで注目を浴び、67年にプロ・デビューしたザ・フィンガーズのギタリスト成毛滋(1947年1月29日生まれ。2007年3月29日没)は、69年7月に解散後スタジオ・ミュージシャンとして活動する(この時期に彼が参加したセッションには「ドリフのズンドコ節」もある)傍ら、70年初頭には高校時代からプロ・ドラマーとして活躍し、増尾好秋グループ、ジャックス、佐藤充彦トリオ、渡辺貞夫カルテット等での活動歴を持つ角田ひろ(現つのだ☆ひろ。1949年8月1日生まれ) と組んでバンド活動を始める(ベース奏者は流動的だった)。このコンビに 元パワー・ハウスのベーシスト柳ジョージが加わり「ジプシー・アイズ」の名で活動していた時期の70年11月7日、有楽町ビデオホールで行なわれた『ジミ・ヘンドリックス追悼コンサート』で「エスケープ」という高校生バンドと共演。このバンドでリード・ギターを担当していたのが高中正義(1953年5月27日生まれ)だったのである。
ジプシー・アイズは柳ジョージがゴールデン・カップスのメンバーでもあったため、次第にスケジュールの調整が困難になりやがて柳は脱退。成毛と角田は「ストロベリー・パス」の名で活動を始め、71年6月には成毛のスタジオ・
71年10月9日、東京厚生年金会館でのライヴで正式なステージ・デビューを飾ったフライド・エッグは、名古屋、大阪を廻るツアーを開始。この際に成毛が個人輸入したWEM社のPAシステムを装備した音響スタッフ「フライド・エッグ・チーム」も同行し、まだコンサート会場でPA装置が珍しかった時代に自前で本格的PA機材一式を揃えた彼らが多方面から注目されたのは言うまでもない。72年3月には1stアルバムで彼らが残した唯一のスタジオ録音アルバムとなる『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』をリリース。ストロベリー・パス時代から継承されたブリティッシュ・ハード・ロック+プログレシッヴ・ロック的な英語詞オリジナルというコンセプトをさらに完成度の高いものに仕上げていた。中でも成毛がアドヴァイザーとして開発に関わり、購入者特典の教則カセットで講師も務めたグレコ・ギター(神田商会)のCMにも使われた「Rolling Down The Broadway」はシングル・カットされ、フライド・エッグの代表曲となった。
アルバム発売後のツアーは各地で大きな反響を呼び、ギターとキーボードを同時に自在に操る成毛と日本人離れした高度でパワフルなドラム・テクニックを披露する角田の二人は<神>と呼ばれ、明日のプロ・ミュージシャンを夢見る全国のバンド少年たちの間で神格化されていった。さらに日本を代表するロック・バンドとして英国の『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』『メロディ・メイカー』といった音楽新聞にも紹介されたが、71年11月頃から加藤和彦と共にサディスティック・ミカ・バンドの活動を始めていた角田・高中と成毛との音楽的志向の相違もあって、72年7月には解散が内定。同年9月19日、日比谷野音で開催された『フェアウェル・コンサート』を最後に、フライド・エッグは約1年という短い期間ながらも熱い注目を浴びた活動歴に幕を下ろした。解散後の72年11月25日はラスト・アルバムとして『フェアウェル・コンサート』のライヴ音源にスタジオ・レコーディング作品を加えた『グッドバイ・フライド・エッグ』をリリース。これは現在、伝説のロック・トリオ、フライド・エッグのライヴを検証できる唯一の正式音源でもある。
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